こんにちは。
キラです。
先日、アダム・グラントの『Hidden Potential』を読み返していて
ある実話のところで、手が止まりました。
アメリカ海軍で初めて誕生した黒人士官たち。
「ゴールデン13」と呼ばれる16人の物語です。
読み終えたあと、しばらく本を閉じたまま
じっと考えていました。
今日はこのエピソードと、そこから私が受け取ったことを書いてみます。
1.ゴールデン13ってどんな人たち?

1944年3月、任官したばかりの13人(米海軍公式写真・パブリックドメイン)
1944年、グレートレイクスで
1944年1月。
アメリカ海軍で初めて黒人士官を養成するため
16人の黒人下士官がイリノイ州グレートレイクスの訓練センターに集められました。
彼らの名前を、ここに書いておきたいと思います。
Jesse W. Arbor、Samuel Barnes、Philip Barnes、Dalton Baugh、George C. Cooper、Reginald Goodwin、James E. Hair、Graham E. Martin、Dennis Nelson、John W. Reagan、Frank E. Sublett Jr.、William S. White、Charles Lear、Lewis Williams、J. B. Pinkney、A. Alves。
16人です。
会ったこともない、遠い国の、80年以上前の人たちです。
それでも、この名前をひとつずつ書き写しているだけで
胸の奥が熱くなりました。
与えられたのは、半分の期間
当時、士官候補生の課程は通常16週間。
けれど彼らに与えられたのは、その半分の8週間だけでした。
多くの関係者が、そう感じたそうです。
教える立場だったのはダニエル・アームストロング司令官。
航海術、砲術、航空機識別、海軍史、モールス信号、生存術。
覚えることは、山のようにありました。
2.毛布で窓を覆った夜
消灯22時30分、それでも終わらない
寮の消灯時間は、夜10時30分。
けれど、それで勉強が終わるわけではありませんでした。
想像してみてください。
窓に、毛布をかける。
光が、外に漏れないように。
そして、懐中電灯をひとつ灯す。
その小さな明かりを囲んで
16人が、額を寄せ合う。
誰かが航海術の教科書を開き
誰かがモールス信号の表を指でなぞる。
眠る時間を削って、それでも彼らは学び続けました。
詳しくはNaval History Magazineの記事にも書かれています。
それぞれの得意分野を、みんなのために
誰かが航海術に強ければ、その人が先生になる。
誰かがモールス信号が得意なら、また別の人がその人から教わる。
教科書を分担し、毎晩、お互いの持っているものを出し合いました。
厳しいペース。
そして、当時当たり前だった人種差別的な扱い。
それでも16人は、こうして支え合いながら訓練に臨みました。
3.「不正では」と疑われるほどの点数
16人全員が合格
そして1944年3月。
16人全員が試験に合格しました。
その成績は、あまりに高すぎました。
ワシントンの一部からは「不正をしたのではないか」という疑いの声まで上がったそうです。
毎晩、毛布の下で学び続けた16人に
返ってきたのは、賞賛ではなく疑いでした。
その知らせを受けたとき、彼らはどんな顔をしていたでしょうか。
私はそのことを、何度も考えました。
再試験で、さらに高い点数を
そこで、一部の試験がやり直しになりました。
結果は、最初よりもさらに高い点数。
平均は3.89。
これは今も、当時の記録として語り継がれる数字です。
疑われたことへの、一番静かで、一番強い返事だったのだと思います。
それでも、13人だけの任官
ただ、ここに小さくない痛みがあります。
16人全員が合格したにもかかわらず、実際に任官したのは13人だけでした。
12人が少尉に、1人が兵曹長に。
これが「ゴールデン13」と呼ばれる所以です。
『Hidden Potential』では、彼らが海軍史上最高の集団成績でこの課程を修了したことが紹介されています。
4.任官してからも続いた壁
変わらなかった扱い
ただ、ここで終わる話ではありません。
任官したあとも、彼らは白人士官が当然受けていた待遇や敬意を、たびたび拒まれました。
与えられたのは、雑務的な任務ばかり。
13人のうち、海軍でキャリアを続けたのはたった1人。
残りの人たちは、戦後、それぞれ民間の道で自分の人生を切り拓いていきました。
それでも消えない事実
努力と支え合いが壁を打ち破る力になる。
けれど、壁そのものが不当なものだったという事実は、消えません。
この両方を、私は忘れずにいたいと思いました。
名前は、今も刻まれている
それでも、時は少しずつ動きました。
16人が学んだグレートレイクス海軍基地には、今も彼らの名前が刻まれています。
1987年、13人の名前を刻んだプレートが除幕されました。
今この基地に入る新兵たちは、誰もが最初にこのプレートの前を通ります。
ゴールデン13は、自分たちの志を貫いただけではありませんでした。
その何十年もあとに、困難に立ち向かうすべての人たちにとっての、希望の光になったのです。

それから数十年後、ブラックヒストリーウィークの式典で(米海軍公式写真・パブリックドメイン)
5.組織心理学が教えてくれること
心理的安全性
実は、アダム・グラント自身が組織心理学者です。
個人の才能ではなく、「人と人の間」に何が起きると力が引き出されるのか。
それを研究してきた人なのです。
組織心理学には、こんな考え方があります。
心理的安全性。
「わからない」「助けて」と言っても大丈夫だ、と思える関係のこと。
集団的効力感
集団的効力感。
「自分ひとりでは無理でも、このメンバーとならできる」という、チームへの信頼のこと。
個人の能力を足し算しても、チームの力は説明できません。
むしろ、この2つがあるかどうかで、同じ16人でも出せる結果がまったく変わってしまう。
それが、組織心理学が繰り返し示してきたことです。
自分たちで作り出した「奇跡」
ゴールデン13は、外の世界からはまったく心理的安全性を与えられていませんでした。
差別され、疑われ、失敗を望まれてすらいた。
それでも彼らは、毛布で覆った小さな部屋の中に、自分たちで心理的安全性を作り出したのです。
だからこそ、集団的効力感が生まれ、海軍史上最高の成績という「奇跡」につながったのだと思います。
6.「一人はみんなのために、みんなは一人のために」

教室に掲げていた言葉
ここで、私自身の話を少しさせてください。
学級づくりをするとき、私がいつも大切にしてきた言葉があります。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
初任校で尊敬していた先生が、筆で書いてくださった言葉です。
墨の一画一画に力がこもった、大きなプレートにして、教室にずっと掲げていました。
不思議な一致
今回この記事を書くために、ゴールデン13のことを調べれば調べるほど
驚いたことがありました。
彼らを知れば知るほど、まさにこの言葉が、ぴったり重なっていくのです。
差別され、疑われ、失敗を望まれるほどの、極めて困難な状況。
それでも16人は、最後まで諦めませんでした。
それができたのは、一人ひとりが特別に優秀だったからではないと思います。
彼らのつながりが、一人ひとりを支えたからです。
実は『Hidden Potential』の中で、グラントはこう書いています。
16人は、互いの成功を支え合うための「誓い(pact)」を交わしていた、と。
ひとりも欠けることなく、全員で成し遂げる。
それが、彼らの間で交わされた約束だったのです。
言葉づかいこそ違っても、その誓いの中身は
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」そのものだったのだと思います。
私だけが大切にしてきたと思っていたこの言葉に
海を越え、時代を越えたところで、すでに出会っていたのだと知りました。
精神論ではなかった
一人ひとりが、みんなのために力を尽くす。
そして、みんなが、その一人ひとりのために力を貸す。
これは、単なる精神論ではなかったのだと、今なら思えます。
心理的安全性も、集団的効力感も、突き詰めれば同じことを言っているのではないでしょうか。
毛布の下で、懐中電灯を囲んで教え合った夜。
あれはまさに、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」が現実になった瞬間だったのだと思います。
7.風灯の会で大切にしたいこと
引き出す力になる2つのこと
このお話を読みながら、私はグループホーム&カフェ「風灯」のことを考えていました。
特別支援教育の現場でも、福祉の現場でも、同じことが言えると思うのです。
ひとりひとりの「潜在能力」は、その人ひとりの力だけで引き出されるものではありません。
まわりが、安心して力を出せる場を一緒に作ること。
「この先の誰かのために」という目的を、一緒に持てること。
この2つがあってはじめて、隠れていた力が形になるのだと思います。
そして同時に、制度や環境の側にある壁も、見過ごさずにいたい。
この言葉を、風灯でも
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」
この言葉を、風灯でも大切にしていきたいと、あらためて思いました。
グループホームとカフェから、その先へ
風灯は、まずグループホームとカフェから始まります。
でも、私にはその先に見ている景色があります。
グループホームとカフェは、あくまで「起点」です。
そこを拠点にして、助けを必要としている、もっと多くの人たちのために
活動を広げていきたいと思っています。
ゴールデン13の物語も、最初は毛布をかけた、たった一部屋から始まりました。
そこから始まった小さな一歩が、何十年もあとの、会ったこともない誰かを支える光になった。
風灯も、そんなふうにありたいと願っています。
あなたにも、誰かと毛布をかぶって夜通し語り合ったような
そんな経験はありますか。
あなたにとっての「一人はみんなのために」は、誰との、どんな記憶でしょうか。
もしよかったら、教えてください。
読んでくださって ありがとうございました。

