奇跡を呼んだコミュニケーション  アフマド・シャー・マスード、パンジシールの獅子と呼ばれたアフガニスタンの英雄

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こんにちは。

キラです。

20年以上前に見た夢を鮮明に覚えています。

どこかの草原の

美しい目をした山羊たちが

空を見上げていて

それを私は上空から見ていました。

すると空からミサイルが降ってきて

山羊たちも草原も何も見えなくなりました。

目を覚ました私は

とても悲しくて

山羊たちの美しい目を思って

なぜか嗚咽するように

泣いてしまいました。

その日のニュースで

アフマド・シャー・マスードという人が

自爆テロで亡くなったということを知りました。

たくさんの人が悲しみに泣き叫んでいました。

私はその人にとても興味を惹かれ

調べまくりました。

その人はパンジシールの獅子と呼ばれていました。

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それからその人は

ネルソン・マンデラと並んで

私の敬愛する人物となりました。

その翌日

アメリカで同時多発テロが起こりました。

そうするとマスードのことは

私の記憶の奥深くに沈んでしまいました。

そうして長い月日が過ぎた昨年の夏に

アフガニスタンの記事が

新聞の一面に出ていました。

アメリカ軍の撤退が進むアフガニスタンで

タリバーンが政権を握ったというニュースでした。

ロシアのウクライナ侵攻に世界が注目する陰で

今アフガニスタンでは

人権侵害や貧困や飢餓が蔓延しています。

タリバーン政権の圧政がそれらを増長させ続けています。

その記事を読んで

私は久しぶりにマスードのことを思い出しました。

またしばらくインターネットで

彼に関する記述を読み漁りました。

彼と親しかったジャーナリストの

長倉洋海のホームページを見たり

彼の著書を買って読んだりもしました。

そしてその後またしばらく

マスードのことは忘れていましたが

先月末に受けたある講座の学びから

再び彼のことを思い出しました。

そして彼のことを

書きたいと思いました。

目次

1.アフガニスタン紛争

マスードを語るためには

まずアフガニスタンがどんな国なのかを

語らなくてはいけません。

アフガニスタンは

中央アジアやインド・中東に通じる

重要拠点にあったことから

歴史的にも長年

他民族の侵略に甘んじてきた土地でした。

1978年に成立した

社会主義国家であるアフガニスタン民主共和国に

ソ連の侵攻が1979年に始められました。

アフガニスタンの反共産主義勢力を駆逐するためです

その後ソ連のアフガニスタンへの駐留は

予想に反して長期にわたり

それがソ連経済を圧迫し

イスラム原理主義ゲリラとの戦闘は

ソ連の犠牲者を増加させていきました。

戦闘の泥沼状態は長く続いたため

1988年に国連の仲介で

ソ連は完全撤退を決定して

即時に撤退を開始し

翌89年までに全部隊の撤退を完了させました。

ソ連から解放されたアフガニスタンでしたが

ソ連軍撤退後は混迷を極める内乱状態となりました。

タリバーンの支配が広がっていき

そのタリバーンと

アメリカ軍を中心とする多国籍軍と

アフガニスタン共和国軍が協力して戦うという形で

新たな紛争が始まったのです。

その紛争は20年と数百兆円を費やした後

米軍を筆頭に多国籍軍が撤退を開始する

という形で昨年終わりました。

そしてその後

ターリバーンが急速に勢力を回復し

再び政権を奪還して今に至ります。

2.マスードという人物

マスードはアフガニスタンの

パンジシール渓谷ジュンガラック村の

王国陸軍大佐ドースト・ムハンマドの三男として

1953年に生まれました。

彼はは27歳という若さで

長老と呼ばれるような部族長にしか

まとめられないと言われてきた

めっぱう我が強いと言われる

ムジャヒディン(イスラム戦士)の

5千人以上を統率しました。

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彼はそのムジャヒディンを率いて

ソ連軍と戦い

奇跡的な功績を立て

国土を解放していきました。

自然が厳しいアフガニスタンの地形を武器に

海千山千の多数の部族からなる

アフガンの反ソ連軍ゲリラたちをまとめあげ

ソ連軍と戦ったのです。

彼はソ連軍に何度も大打撃を与えたことで

世界中のメディアにその名をとどろかせ

パンジシールの獅子と呼ばれました。

1992年彼の率いるムジャヒディン勢力が

首都カーブルを占領してラッバーニー政権が誕生すると

そのもとで国防相、政府軍司令官を務めました。

ラッバーニー政権が崩壊し

タリバーンが勢力を拡大すると

ターリバーンに対抗する勢力が結集した北部同盟の

副大統領・軍総司令官・国防相となりました。

タリバーンの支配が広がってからは

タリバーンのイスラム法を盾にした

人権無視的な強硬政策を

「イスラムへの侮辱であり反乱」と非難しました。

そうして彼は

タリバーンの全国支配に

最後まで抵抗し続けました。

そして2001年の48歳の時

ジャーナリストを装った二人の自爆攻撃で

命を奪われたのです。

タリバーンと連携して同時テロを行った

国際テロ組織アルカイダが

彼の殺害に関与したといわれています。

彼はその志しなかばで

その後のアフガニスタン・イスラム共和国成立や

アフガニスタン民主化への歩みを

見ることなく亡くなったのです。

マスードの遺体は

故郷ジュンガラック村を望む丘に埋葬されました。

その埋葬の時

直径10数メートルの穴の中央に棺が置かれて

そのそばに身内や幹部たちがいて

それ以外の人たちも

巨大な穴の淵に並んで

それを見下す形で立っていたそうです。

そしてマスードの棺のふたが開けられ

顔を覆っていた白布が外された時

屈強なムジャヒディンたちが

一斉に叫ぶようにむせび泣いだそうです。

そして彼らは

「我々はマスードの道を行く!」と

声を上げたそうです。 

偉大な人物は人類の師であると言えます。

でもその偉大さは

その人間性に負うところが大きいです。

そしてその資質というものは

学び得るものではないと思います。

時代が人を生むのか

あるいは人々の心が時代を動かすのか

これほどの人物が現れる背景を思わざるを得ません。

でもあえてマスードの人間性について考え

マスードに近づきたいと思いました。

3.NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)とマスード

何度かこのブログで触れている濃縮塾講座で

今回はNVCというのを学びました。

それは1970年代に

アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって

体系化され提唱された

自分の内と外に平和をつくるプロセスです。

マーシャル教授は

NVCは私たちに本来そなわっている力である

人を思いやる気持ちを引き出すことで

自分自身と自分以外の人々との交流を容易にする。」

と言っているそうです。

それは自分自身を表現する方法であり

耳を傾ける方法を見直すプロセスとも言えるということです。

彼はこのプロセスを用いることで

刺客でさえ説得できると言います。

そのプロセスとは

①正しく観察して事実を伝える

②観察したことへの感情に気付き伝える

③ニーズ(必要としていること)を明確にする

④要求する

の4つです。

この4つに意識を集中した

コミュニケーションを心がけることは

本当に自分が求めていることは何かを

知っていくというトレーニングになるし

このトレーニングを繰り返していくことで

相手のことを心から大切にしたいという

気もちにたどり着くのだそうです。

そうして言葉の中にある暴力をなくし

あらゆる相手の言葉を受け止め理解して

さらに自分の要求を受け入れてもらうことで

人と人との間に新しい関係が生まれます。

さらにそれが広がっていくことで

世界がより良く変わっていく可能性が生まれます。

これを学んで色々と考えていると

また1年と数か月ぶりに

マスードのことを思いました。

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アフガニスタン中の

屈強なムジャヒディンが彼に忠誠を誓い命を預け

多くの人民が彼を愛して止まず

捕虜として捕まった敵までもが

自由を与えられた後も

マスードの元にとどまりたいと希望したそうです。

そういうふうに人を惹きつけてやまない

そして間違いなく世界を変えた

マスードのコミュニケーションは

まさにNVCだったのではないのかと思いました。

彼は毎日彼と話しにやってくる多くの人や

その他望まれれば誰とでも話をしたそうです。

彼と話そうとやってくる人々の長い列が

毎日できたそうです。

20年近く彼と行動を共にした

日本人ジャーナリストの長倉洋海さんの著書に

司令官である彼が

宿舎に戻れば皆のルームメートのようになり

皆と同じように掃除や食事作りのためや歩哨として働き

余暇には談話に興じるという話がありました。

そういうふうに彼は

いつも近くにいるムジャヒディンたちはもとより

住民たちそして敵側の捕虜たちとも

まるで親友のように

たくさん話をしたそうです。

彼は人の話をとても興味をもって聴き

しかも全く偏見をもたず聴いたそうです。

また異なる文化を唾棄することのない

公正さと素朴さをいつも感じさせたそうです。

たとえばイスラム教徒は

汚れるとして豚肉を忌避しますが

彼が長倉さんに

「豚肉ってどういう味がする?」

と聞いたそうです。

こういうふうに偏見を持たず

好奇心とユーモアで聞いてきて

まわりを和ませていたそうです。

また彼は常に多様性を重んじ

全国民を統治することではなく

民族の協調を目指したそうです。

そうして彼はその信念のもとに

どのように作戦的に有利であっても

決して住民が被害を受ける攻撃をしないとか

例え功績になるような交渉であっても

国民のマイナスになるような要求に応じないとか

捕虜に対しても

「共産主義だろうと何だろうと

主義を理由に人を殺すことには反対だ」

と自由を与えました。

それらは今までのムジャヒディンたちには

なかった選択肢でしたが

彼らはもとより

多くのアフガニスタンの人々に

それらを納得させたそうです。

彼が多くの人々の話に耳を傾け

その人たちの感情に共感し

一貫した行動や言動で自分の考えを伝え

明確に自分の要求を示したからです。

これはNVCのプロセスに他ならないと思いました。

マスードを失ったアフガンは今も尚

混迷の度合いを深めています。

マスードの遺志を継承する人はいると思います。

でも果たして

マスードの信念や

コミュニケーションを体現する人物は

いるのでしょうか。

今回この記事を書いていて

会ったこともなく

ましてや何のかかわりもないマスードという人に

私がいかに惹かれて

彼の死に喪失感を感じているのかがわかりました。

私の見た夢は何かの啓示だったのでしょうか。

あなたも

心からつながりながら共感を伴うような

コミュニケーションをしたいと思いませんか。

あなたにもこんなふうに

会ったこともない人に

惹かれてやまないことがありますか。

人と心からつながりたいと思ったことはありますか?
マスードについてどう思いましたか?
あなたには私にとってのマスードのような人物はいますか?
私と話をしましょう!
また、私の記事への意見を
メールしてください。
その他質問でも感想でも何か一言でも
haruandarya@aol.com へお願いします。
またはこちらからでもどうぞ。
お返事は必ず書きます。

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