命をかけることができるような人との深い絆について

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こんにちは。

キラです。

あなたには深い絆で結ばれた友人がいますか。

その人のために命をかけることができますか。

そんな友人をもちたいですか?

どうやったらそんな友人をもつことができると思いますか。

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私には数は少ないですが

無条件に信頼し

尊敬もすることの出来る

仲のいい友人はいます。

でもその人たちと深い絆で結ばれているか

ましては命をかけることができるかと聞かれたら

自信がないし

というか考えたことさえありません。

今日は

私か好きなアメリカドラマの

ある1話をみて感動して

命をかけることができるほどの絆について

考えたことを書きました。

1.NCIS〜ネイビー犯罪捜査班

そのアメリカドラマとは

NCIS 〜ネイビー犯罪捜査班』です。

それは

ワシントンDCを拠点とし

アメリカ海軍に関する事件を捜査するNCIS

誰もが憧れる理想の上司ギブスが

率いるメンバーたちと活躍する姿をスリリングに描く

2003年に始まり今も最新話が制作され続ける

大ヒット・ロングラン・アクションドラマです。

以下が今回みて感動した話のあらすじです。

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それは真珠湾攻撃で沈没して

今も海に眠る戦艦「アリゾナ」に

自分の遺骨を埋葬して欲しいという

95歳の老人の話でした。

アリゾナの乗員だった人は

希望すればアリゾナに埋葬してもらえるそうです。

ただこの話の主人公の老人は

16歳という年齢を偽って

兄の名前と履歴書で乗船していたため

確たる証拠がないと理由で

アリゾナ埋葬は無理だったのです。

それでも彼は何度も政府に懇願しましたが

無視され続けたため事件を起こします。

元海兵隊のギブスがその事件を解決して

何とかその老人の望みを叶えようと奔走します。

事件を起こして捕まった老人の尋問の場面で

アリゾナの最後を語ることを拒否し続けた彼が

ついに口を開いて

苦しみもがきながら

言葉を絞り出すようにして話したことは

仲間達の想像を絶する凄惨な最後でした。

その日に下船して

一緒に遊ぶ約束をしていた戦友が

彼の隣で顔半分を失って倒れていたことも語りました。

それらは作り話とは思えないリアルな内容で

聞くもの全てを圧倒したけれど

ギブスたちの奔走にも関わらず

証拠を見つけることが出来ませんでした。

そうこうするうちに彼の寿命は尽きてしまいます。

でも最終的には彼の腕のケロイドの中から

アリゾナに投下された砲弾と同じ破片が見つかったことから

彼はアリゾナに埋葬されることになました。

敬礼するギブスの見守る中

海中のアリゾナまで

二人の兵士が彼の遺骨を運んで

埋葬することができました。

でもなぜ彼は悲惨な体験の場であるアリゾナに

眠りたかったのでしょうか。

なぜ死んだらアリゾナに帰りたいと

切望したのでしょうか。

それは彼にとってはアリゾナの仲間は単なる戦友ではなく

血の繋がった家族よりも強い絆で結ばれた仲間だったからです。

彼らは互いが

命をかけ合って守り合う仲間だったのです。

彼は言いました。

「悲惨な記憶でもあそこには家族が眠っている。」

2.人との絆について

誰しも絆を感じる存在がいると思います。

それは家族であったり

恋人であったり

パートナーであったり

友人であったりするのでしょう。

でもそれらの人たちとの絆が

その人のために命をかけるほどの絆だと言える人は

どのくらいいるのでしょうか。

具体的な場面、例えば事故や災害の場面で

この人を救うためなら

自分は迷わず命をかけるだろうと思える存在がいるでしょうか。

私は自己防衛本能から

すぐに人との距離を置こうとしてしまいます。

相手が近づいてくれても

信頼関係を崩さない程度に

巧妙に距離を置こうとします。

そして相手を観察したり

相手の真意を探ったりして

安易に近づかないようにしてきました。

だから人との深い絆は

感じたことはないように思います。

だから人道的とかの信念の問題ではなく

この人のためにという特別な存在はいないように思います。

このことは以前の記事で書きました。

そんなふうにして人間関係を築いてきて

不自由は感じたことはないし

むしろその方が安心できたような気がします。

ではなぜ私は

アリゾナに眠りたいという老人の話に

感動したのでしょうか。

それは私がどこかで

命をかけることができるような深いつながりを

求めているからではないでしょうか。

3.命をかけることができる絆について

この老人のドラマは

戦争という特別な空間が背景です。

私はずっと

戦争にはいつも大義名分があって

それに洗脳された兵士たちが

そのために戦いに命を掛けるという

愚かな行いをさせられてしまうと考えていました。

祖国のためとか

イデオロギーのためとかの

信念のために

人は戦いに命をかけるのだと思っていました。

このドラマのように

戦いの中で

人と人が命をかけて助け合う存在だと

考えたことはなかったのです。

死と隣り合わせの戦場では

いつ命を失うかもしれないという状況では

共に戦う仲間だけが確かな存在で

生きる希望なのかもしれません。

そこではお互いを命をかけて守り合うというのが

当たり前の空間なのかもしれません。

ウクライナの戦場でも

名もない兵士たちが

隣で戦う戦友のために命をかけているのかと思うと

攻撃が続く街で人々が

みんなで生き残ろうと

命をかけてお互い助け合っているのだと考えると

遠い国の戦場が身近に迫ってきて

涙が溢れてきました。

私は戦場に生きているのではありません。

おそらくあなたもそうでしょう。

そんな私が命をかけるとこができるような

深い絆で結ばれた存在をもつには

どうしたらいいのでしょうか。

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そのためにはまず

自分がそんな絆を求めていることに気付くことが必要です。

そして自分がそんな絆を強く求めることが必要です。

そしてそういう絆を求める自分は

他にとってどのような存在であるのかという

アイデンティティを認識する必要があります。

ドラマの老人が

自分は命をかけて

アリゾナの戦友を救う存在であったと認識したように。

それはパラダイムシフトが必要な認識かもしれません。

おそらくそれは

本を読んだり

セミナーに参加したりして

知識を得るだけでは

実現できるような

パラダイムシフトではないかもしれません。

でもまず自分が何者であるか

他にとって

世界にとってどのような存在であるか

言語化することから始めてみませんか。

あなたの言語化したアイデンティティを私に伝えてみませんか。
また、私の記事への意見を
メールしてください。
その他質問でも感想でも何か一言でも
haruandarya@aol.com へお願いします。
またはこちらからでもどうぞ。
お返事は必ず書きます。

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