希望をもち続けた人-ネルソン・マンデラ-

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こんにちは。

キラです。

前回の記事で希望について書きました。

今回の記事では

その過酷な半生に於いても希望をもち続け

あきらめずに挑み続けた人について書きました。

その人は亡くなりましたが

今でも多くの人の希望として存在し続けています。

私が社会の授業をしていて

すぐ熱く語ってしまう人物の一人がその人で

ネルソン・マンデラです。

ネルソン・マンデラは

南アフリカの元大統領で

公民権活動家で平等を求める闘いに生涯をささげ

南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイトの終焉に貢献した人です。

目次

1.アパルトヘイトについて

南アフリカ共和国には長く

有色人種を差別する人種隔離政策がありました。

その人種隔離政策をアパルトヘイトといいます。

その有色人種のほとんどは先住民であるアフリカ人種です。

アパルトヘイトを進めたのは

植民地支配のために入植してきたヨーロッパ人種です。

アパルトヘイトは

ヨーロッパ人種以外の人種の政治的・社会的権利を奪い

居住区まで指定した差別的政策です。

アパルトヘイトヘイトは1948年には制度として確立し

1991年に廃止されるまで続きました。

ここから先は差別政策の本質を

理解しやすくするために

ヨーロッパ人種を「白人」

アフリカ人種を「黒人」と書きます。

当時黒人は政府の指定した土地にしか居住できず

トイレや公園などの公共施設は

「白人用」と「白人以外用」に区別され

黒人が白人専用の場所に立ち入った場合は

逮捕されました。

異人種間での恋愛や結婚も禁じられるなど

アパルトヘイト政策は徐々にエスカレートしました。

戦後の国際社会はアパルトヘイトを

「人類の人類に対する犯罪」と厳しく非難しました。

でも南アフリカ政府はこれを

「人種ごとの分離発展のため」として

改めようとはしませんでした。

2.ネルソン・マンデラ

ネルソン・マンデラは

1918年に南アフリカのクヌ村という場所で生まれました。

父親は南アフリカで二番目に人口の多い

コーサ民族の一部テンブ族の首長でした。

彼は幼少期から

少年時代には父親から

部族社会の反英闘争の歴史や

部族の首長が持つべきリーダーシップや寛容などを学び

また洗礼を受けてキリスト教徒として育ちました。

彼は黒人として当時の南アフリカで

最下層におかれていたものの

首長の息子だったおかげで

フォートヘア大学に進学がかないました。

彼はここで活動家となり

学生自治会の権限の不足を訴えたことで退学となりました。

その後マンデラは

ウィットウォーターズランド大学法学部で学び

1952年に国内初の黒人による法律事務所を開きました。

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一方で1944年に南アフリカの黒人の公民権を求める

アフリカ民族会議(ANC)政党に入党したことから

彼の反アパルトヘイト運動は本格化していきます。

黒人のみが義務付けられていた

身分証明書を焼くなど

非暴力を貫いていましたが

1962年に武装闘争路線に変更しました。

彼ば政府のアパルトヘイト撤廃と

南アフリカの解放を求めた公民権運動を進め

政府白人政府に「テロリスト」と呼ばれるようになりました。

そのためマンデラは1962年に逮捕され

それから27年間を獄中で過ごすことになりました。

3.獄中生活で

1964年マンデラは終身刑の判決を受けました。

面会を許されたのは年に1回、30分間、1人のみで

手紙は年に2通送り

2通受け取ることができただけでした。

また厳しい環境の牢に閉じこめられ

採石場で強制労働をさせられました。

マンデラはその過酷な生活のために

結核などの呼吸器疾患を患い

目も痛めました。

そんな状況にありながらも

収監中にも勉学を続け

南アフリカ大学の通信制課程を修了し

法学士号を取得しました。

また、アパルトヘイトの主要勢力の

アフリカーナと呼ばれる人たちとの対話を予測し

アフリカーンス語やラグビー知識を身につけたのも

獄中でのことでした。

また彼は次世代に南アフリカの政治指導者となる

政治犯として投獄された囚人たちと

勉強を教えあったり

討論と話し合いをしたりして

多くの時間を費やしました。

その長い投獄の年月で

彼の反アパルトヘイト闘争的思想は

平和的な方法で

全ての人種が強調して

誰しもが人間としての尊厳を尊重されるような

「虹の国」を建設するという希望に

変わっていきました。

そしてマンデラはともに語り合った仲間たちと

その新しい南アフリカへの希望を

絶対に諦めないことを誓いました。

そのようなマンデラはやがて

他の囚人や看守の

尊敬を集めるようになりました。

そんな投獄生活も22年を過ぎた頃

彼がともに運動してきたANC

暴力的行為をやめさせることを条件に

釈放するとの申し出がありました。

マンデラはそれを断りました。

新しいアフリカへの希望が

彼の精神をより強いものにしたことを

示した出来事でした。

前回の記事で書いた

シベリア抑留を耐え抜いた人の

祖国に帰るという希望も

マンデラの新しい祖国への希望も

はっきりとした美しいものでした。

その美しい希望が彼の精神を

強くしなやかにしたのだと思います。

自分の自由や命を引き換えにしても

新しい祖国への希望を

決してあきらめなかった彼の姿勢が

少しずつ世界を動かしていきました。

27年の服役生活の中で

マンデラは世界でも最も名を知られる

政治犯となりました。

支持者たちはマンデラの釈放を求め

世界中の反アパルトヘイト活動家たちは

そんなマンデラに刺激を受けました。

国連の中でアパルトヘイトを固守する

南アフリカに対する制裁を唱える国が増えていき

以後そうした声は大きくなっていきます。

やがて南アフリカは

国際社会の中で孤立していきました。

1990年に国際的な圧力と内戦の危機を受けて

南アフリカのデクラーク大統領は

アパルトヘイトの廃止を宣言し

マンデラを釈放しました。

ユネスコの世界遺産委員会は

このマンデラのいた牢獄のあったロベン島を

「人間の精神の勝利」の地として世界遺産に登録しました。

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4.新生南アフリカ共和国

19902月長期の獄中生活を経て

釈放された72歳のマンデラに

衰えた様子はありませんでした。

ケープタウンでおこなわれた釈放後の第一声には

10万人もの聴衆が集まり祝福しました。

その後も当時の白人大統領デクラークとともに

アパルトヘイト撤廃運動を続け

1993年にノーベル平和賞を受賞しました。

1994年には南アフリカ史上初めて

すべての人種が参加する選挙がおこなわれ

大統領に就任しました。

76歳でした。

大統領就任演説でマンデラは

「虹の国」を建設すると宣言しました。

マンデラが目指したのは

アパルトヘイト体制下で分断されていた

黒人と白人をひとつの調和した国民に統合し

その誰しもが人間としての尊厳を尊重されるような

社会をつくることでした。

私はこのニュースを新聞で見て

とても感動したのを覚えています。

こんな人と同じ時代に生きているのかと思って

心が震えるような感じでした。

私のその時の知識では

体制を変え新しい国を作るためには

自分たちこそがその国の先住の人種なのだから

自分たちを差別して苦しめ続けてきた

ヨーロッパ人種による政権を倒すという方法が一般的でした。

名もない多くの人たちが命をかけて戦ってきた歴史が

世界をより良いものに変えてきたからです。

でもマンデラ大統領はまず

南アフリカの人種、民族集団の代表たちと

徹底的に話し合いました。

南アフリカに存在する

全ての人々のための国づくりを目指したのです。

そして

「全人種が強調する虹の国」の

建国を宣言したのです。

全ての人種が手を取り合って

全ての人が幸福になるような国をつくると言ったのです。

本当に美しい希望だと思いました。

5.希望の行方

マンデラ大統領は志を同じくする仲間とともに

民族の和解を呼びかけ協調を促し

民族間格差の是正のための政策を進めました。

土地改革として

黒人と白人間の不平等なの配分を見直し

衛生施設など富の再配分を目指しました。

でも財源不足で所得の是正が追い付かず

社会犯罪は増えるばかりでした。

マンデラの希望の国の実現の前には

多くの問題が立ちはだかっていました。

マンデラは大統領職を1期務めたのち

80歳で政界を引退しました。

そして大統領を退いてからは

子や孫を失って失意の日々を送り

体調を崩すことが多く入退院を繰り返して

2013125日に95歳でこの世を去りました。

南アフリカ共和国は

現在もまだまだ黒人に貧困層は多く存在し

格差が無くなったとは言えません。

さらに世界的に見ても

犯罪がもっとも多い地域のひとつといわれるほど治安が悪く

多くの問題を抱えています。

まだたくさんの人が貧しく辛く苦しい生活を強いられ

不幸な人生を送っています。

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マンデラのあの美しい希望の行方を

誰に尋ねたらいいのでしょうか。

それはまだどこかで輝いているのでしょうか。

マンデラを支え続け

マンデラを導いた希望が

また誰かの道となって光り輝くことを

願ってやみません。

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