キラです。
今回は私が特別支援学校で担任していた
Nという女子生徒について書きます。
彼女は中学校の時アスペルガーと
心療内科で診断されていました。
精神障害者保健福祉手帳も持っていました。
アスペルガーの生徒の
支援についての記事の続きです。
1.Nについて
中学校の時のこと
Nは中学校2年生まで普通学級でしたが
2年の時精神的に不安定になり
リストカットをしたり
雨の中をずぶ濡れで
叫びながら歩いていたところを
保護されたりしました。
それで両親が心療内科を受診させて治療を始め
さらに学校の勧めで
特別支援学級に入級しました。
Nは知的には障害はなく
人とかかわることが好きな
ハキハキとした
明るい性格でした。
人の面倒を見るのが好きでした。
Nは足に少し障害があったり
片目の視力が著しく低かったり
心臓に疾患があると言う
身体的な障害がありました。
さらにアスペルガー特有の
空気が読めないことや
率直に思ったことを言うことや
自分のことを言うとき
自慢するように
周りに受け止められたことなどから
ひどいいじめにあいました。
それで混乱した彼女に
リストカットなどの症状が出たのです。
テレビドラマや小説が好きだった彼女には
その混乱した自分の状況と
主人公などの状況が重なり
リストカットが結びついたのでしょう。
特別支援学校に入学して
特別支援学校の高等部に入学して
私が担任した時には
彼女はすでに落ち着いていて
明るく元気な印象でした。
特別支援学級では
彼女の明るく元気なところを
生かしてもらえたようでした。
一番には特別支援学級に入って
周りの彼女に批判的な生徒たちから守られたことが
彼女が安定した理由でした。
でもやはり周りの空気が読めないことや
思ったことを何でも言ってしまう傾向は
変わっていませんでした。
彼女と両親の希望は一般就労者でした。
その時のNの状態のまま社会に出て
一般の人たちと一緒に働くと
中学校の時と同じような
状況になることが予想できました。
私は以前の記事に書いた
アスペルガーの子を育てた
お母さんに学んだ方法で
Nを支援することにしました。
アスペルガーの人たちの
記憶力に優れるという特性を活かして
彼女に場面場面に応じた対応の仕方や
言葉掛けの仕方などの
対応を記憶させることにしました。
2.特別支援学校でのNの支援について
Nにできるだけたくさんの対応を記憶して
状況に応じて使える
たくさんのポケットを持てるように
させたいと思いました。
特にソーシャルスキルの部分を
意識しました。
場面をつくったり
話で取り上げたりしながら
対応を教えていきました。
時にはインターネットで検索して
画像や映像を使って
相手の表情と人の抱いている気もちを
怒り、悲しみ、喜びなど
代表的なものから言葉と結び付けました。
そして状況と人の表情と
それへの対応の3つを
連動させて覚えさせたりもしました。
Nはとても前向きで努力家で
しかも好奇心旺盛なので
それがゲームのように楽しかったようで
まるでスポンジが水を吸収するように
どんどん対応方法を身につけて行きました。
3年生になる頃には
Nのイメージは
礼儀正しく感じのいい人に
なっていました。
そうすると
Nの融通の効かないところは
粘り強い努力家に
ルーティンにこだわるところは真面目さに
人がきまりや指示に従わないことが
気になるところは面倒見の良さに
といったように
良い見方をされるようになり
アスペルガーの特性も
彼女の美点になりました。
彼女のことはもともと可愛く思っていて
好きでしたが
ますます好きになりました。
彼女は短編小説を書くのが好きで
よく書いていました。
ファンタジーのようなものがほとんどでした。
書き上げると見せてくれていました。
ノート一冊に書いた短編を
2編をプレゼントしてくれたこともありました。
それはパラレルワールドや
時空を超えた少年と少女とのかかわりを描いた
興味深いもので一気に読んでしまいました。
休日には高校生らしく
クラスの友達と買い物に行ったり
カラオケに行ったりしていました。
トラブルがなかったわけではありませんが
どっちかというとNは
トラブルの仲裁役をする方でした。
彼女は理解できないことには口を挟まないし
事実しか言わないので信頼されていました。
そういえば
お母さんは心配していましたが
私が微笑ましいと思っていた
彼女の特徴があります。
彼女は大きな声で独り言をいいます。
お母さんは何とか声に出さずに
頭で考えるだけにさせようとしたようですが
うまくいかなかったようです。
その頃言っていたのは
独り言というより
場面や相手のことや自分の対応を思い出して
「あの時は〜するべきだったんじゃない?」
「だって〜があんなこと言ったから私もつい…」
「あの時〜はあんなことするべきじゃなかったよね。」
みたいな自問自答の会話を
どこでもはじめていました。
私はそれを聞いていつも微笑ましくて
聞くのも好きだったのですが
確かに知らない人が聞くとびっくりするので
彼女と話して
それはトイレでだけすることにしました。
トイレに行くとたまに
彼女の声が聞こえてきて
笑いをこらえるのに苦労しました。
特別支援学校ではいくつか検定を受けます。
最初彼女はみんなが次々と1級合格を取る中
なかなか良い級が取れませんでした。
足の障害もあって体の使い方が上手くなくて
心臓の障害のため運動制限もあったので
筋力もついていなかったし
手先も器用ではありませんでした。
彼女は2年生の時心臓の根治手術をして
医師の許可が出るとすぐ
毎日の体力づくりの持久走を
手をくことなく頑張り
わずか数か月で
みんなと同じペースで
同じ距離を走ることができるようになり
体力もつきました。
そうすると検定の1級も増えていき
卒業するまでに全ての種目で1級を取り
市からも表彰されました。
そんな頑張りが認められ
彼女はある銀行に就職が決まりました。
3.社会人になったN
Nは私の勤める特別支援学級では
初めての銀行員でした。
校長が来賓の人にいつも自慢していました。
生徒が卒業しても
担任は3年間
何度か生徒の就職先の職場を訪問して
アフターケアをします。
何回目かの訪問の時に
Nの所属する部の部長の方に
Nがみんなから
可愛がってもらっていることを聞いて
Nの仕事への真摯な姿勢と礼儀正しさを褒めてもらって
「社員にNさんの爪の垢を煎じて飲ませたい。」
と言っていただいた時
Nの頑張りを思って涙が出ました。
Nはお給料も計画的に使って
憧れの一人暮らしのために貯金もせっせとしています。
社会人になって
寄り道ができるようになったことが
嬉しくてしょうがないようで
仕事の帰りに本屋さんに寄ったり
買い物をして帰ったり
温泉の好きな彼女は
時にはスパにも寄ることもあるそうです。
お母さんの悩みは
家族や祖父母におごるのが好きで
自分の楽しみよりも優先して
いくらでもお金を使うことなのだそうです。
友達と遊びに行っても
「私が払うから。」
とよくおごるらしいです。
私もNが
心ない人に利用されないように
Nにいろいろ教えなくてはと思う一方で
Nのような人が利用されるような世の中であることが
間違っていることに気付き
Nが純粋さを失わないでほしいとも思います。
Nの場合幸せな社会人になることができましたが
同じ支援の仕方をしようとしても
通用しない例もあると思います。
以前の記事で書いた
隣のクラスの生徒がその一つの例です。
人として・・・
Nの家庭は暖かく
家族はいつもNの味方です。
中学校でNがいじめを受けた時
両親は何度も学校に行きました。
私が受け取った
中学校からの引き継ぎ書には
Nの保護者のことが
クレイマーであるかのように書いてありました。
Nの両親は教師たちにそう思えるほど
Nのために一生懸命だったのだと思います。
一方その引き継ぎ書を書いた教師は
Nの気もちもお父さんとお母さんの気もちも
理解していなかったのでしょう。
実際は
Nのお父さんもお母さんも
行事には必ず参加してくださったし
いつでも協力的でした。
Nはお母さんと二人で嵐のファンで
二人で東京までライブコンサートに行ったりもします。
そんな家庭で育ったからこそ
そんな家庭とタッグを組んでできたからこそ
Nへの支援が成功して
素敵な女性に成長して
社会で活躍できているのだと思います。
ここでも相手を理解するために
相手と真剣に向き合い
相手が何を必要としているのかを丁寧に聞き取り
相手が必要とする支援をすることが
大切なのだと改めて思いました。
それが人を大切にすることで
私が人としてありたいと願う姿なのだと思いました。
人を前にするとき
このことをいつも忘れずにいたいです。
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発達障害があって
生きづらくて辛い思いをしている人
生きづらさを抱えた人の力になりたいと思っている人
私と話してみませんか。
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