こんにちは。キラです。
日本テレビの「ザ!鉄腕!DASH!!」
という20年くらい続く
長寿番組がありますが
見ていますか。
今日は私がこの番組を見て
ある壮大な夢を描いた話です。
1.「ザ!鉄腕!DASH!!」
私は最近のは見てないので
どのような番組になったのか
よくわかりませんが
始まった頃は
ある山里でTOKIOが
農業に挑戦する番組でした。
15,6年前くらいから
3年間くらいは毎週観ていました。
自然あふれる場所で
TOKIOが奮闘する姿が好きでした。
始まりはTOKIOのメンバーたちが
まったく使われていない土地を借りて
その近隣に住む農家さんや
職人さんの知恵を借りながら
そこに村を作っていくという話でした。
農業をするだけでなく
家を作り
役場の建物を作り
山羊を飼い
お米を作るために合鴨も飼っていました。
北登という犬もいました。
いつも尻尾をちぎれんばかりに振って
DASH村のみんなに
転げるように走ってついていく姿が
健気でかわいかったです。
私がまだ見てない時の話ですが
北登は2001年1月21日に
「自分の力で家はつくれるか?」
というDASH村の企画で
番組に登場したそうです。
メンバーの山口達也さんが
家づくりの第一歩として作った
「犬小屋」の主として迎えられたそうです。
農業の指導者の三瓶さんが
いい味をだしてました。
当初70歳くらいだった三瓶さんは
農業の達人として
農業が初めてのTOKIOに
畑の耕し方から伝授してました。
年月が経つにつれ
TOKIOメンバーと三瓶さんのチャレンジは
畑仕事だけにとどまらず
井戸掘りや養蜂や陶器づくりなどにも
拡大しました。
お米も合鴨農法で
確かDASH村ブランド米みたいなのを
作っていたと思います。
三瓶さんもすごい人でしたが
アイドルのTOKIOのメンバーが
多才なことに
いつも驚きました。
三瓶さんは
言葉少なく本質を語るような人で
誠実で職人気質の人でした。
もう亡くなったそうです。
ついでに北登も死んでしまったそうです。
DASH村の所在地は
視聴者には伏せられていました。
福島県の浪江町でした。
2011年に東日本大震災が発生して
福島県浪江町は計画的避難区域に指定されたので
DASH村の企画を続行することができなくなり
場所が公表されました。
その時はもう番組は見ていなかったのですが
とてもショックを受けたことを覚えています。
あのDASH村が失われてしまったことが
とても悲しかったです。
2.私の壮大な夢
私は
「ザ!鉄腕!DASH!!」を見ながら
農業をすることに
憧れるようになりました。
私はその時すでに
自分の希望する仕事に就いていたので
将来の夢なんて
考えることもなかったのに
番組を見ながらワクワクして
自分がTOKIOのように
農業をする夢を想いました。
広い土地を手に入れて
有機農業をして
ついでにその野菜を使って
レストランをして
いろんな人が癒されたり
学んだりするための施設も作って
DASH村よりも大きな
コミュニティを作るところまで
夢が広がりました。
人脈は豊富なので
誰に何を任せるかまで
考えました。
でもそんなことができるお金が
手に入るわけないので
たまに宝くじを買って
大金が当たったら
夢を実現させようと
密かに思っていました。
実際にはかなうわけはないと
わかっていたのですが
空想することが楽しかったです。
3.夢への第一歩?
その頃勤務していた中学校では
選択授業という週1時間の教科がありました。
生徒が10教科くらいの中から
好きな教科を選択できました。
私も1教科受け持ち
10月から始まる後期の半年間
好きなように授業ができることになりました。
10何教科に分かれるので
1教科に集まってくる生徒の人数は少なく
15〜20人くらいでした。
3年生は受験のために
強化学習をしなくてはいけませんが
2年生は何をやってもよかったので
私はここぞとばかりに
「〇〇(学校名)村誕生」というタイトルにして
農業をすることにしました。
DASH村もどきです。
一応教科が選択社会なので
隔週で交互に農業と座学をして
座学の時は
環境問題や農業の理論の授業をしました。
農業をする土地は
人の丈ほどある草がぼうぼうで
ほっとかれていた裏庭を使う許可をもらいました。
夏休みに部活の生徒と
草抜きをしたり耕したりしました。
私は虫が苦手なので
大量にわいて出る虫にさわいでばかりで
ほとんど生徒ががんばりました。
ずっと男子テニス部の
顧問をしていて
20人以上いる部員を率い
いつも厳しい指示を出して
鍛えまくっていましたが
この時ばかりは
生徒たちが頼もしく感じました。
草ぼうぼうの空き地が
見事な畑になりました。
愚痴一つ言わず頑張ってくれた
部活の生徒たちのおかげです。
並行して
近所に大きな畑を持っていて
農業をしていた地域の方のところに
農業を習いに通いました。
その方のアドバイス通りの
冬野菜を植えることにしました。
最初のオリエンテーションの1時間に
オゾンホールの話をして
食糧難になる話から
農業が重要になってくることや
栽培計画の話をして
翌週にはさっそく冬野菜の種を播きました。
播いたもので覚えているのは
大根とラディッシュとブロッコリーと
小松菜とチンゲンサイです。
種や肥料は近所の畑の方の口利きで
農協で買いました。
もちろん肥料は有機肥料です。
芽が出るまでは
座学や水やりや草取りをしました。
座学では環境問題の続きの学習や
収穫した野菜を使った
調理実習の計画も立てました。
小さな葉っぱがたくさん育ったら
間引いて
間引いたものを
ベビーリーフとして収穫しました。
頭をひねって授業を組み替えて
4時間先取りして
収穫してすぐ調理実習をしました。
ベビーリーフをふんだんに使って
生徒と計画した
サラダとパスタとスープを
作って食べました。
美味しかったです。
調理実習で使った時間の代わりに
4週間くらい間があいて授業が無かったのは
野菜の成長にはちょうど良かったです。
途中虫食いに悩まされましたが
木酢で撃退しました。
そうこうするうちに葉物は次々
収穫を迎えました。
小松菜は大きく育ち
大量に収穫できました。
チンゲンサイは艶々してきれいでした。
収穫したものは持って帰らせたり
私が家で料理して持ってきて
みんなで試食したりしました。
どの野菜も甘味があって
味が濃くて
すごく美味しかったです。
冬の寒い時に
大きな真っ白い大根が収穫できた時は
感動しました。
大根すりにしたら
それまで食べたどの大根よりも
美味しかったのを覚えています。
4.夢の行方
私たちのDASH村もどき体験は
成功裏に終わりました。
私の手柄のように書いてますが
実はほとんど
近所の畑の方のサポートのおかげです。
その人はしょっちゅう
学校の私の農園を見にきてくれて
手入れもしてくれていました。
ありがたかったです。
3年になったその選択授業の生徒たちが
折りあるごとに
「先生、〇〇村楽しかったね!」と
言ってくれました。
うれしかったです。
私にとっても楽しい半年間の授業でした。
でも残念なことに
そのあと同じ授業をする人はなく
私も3年の担任になったので
続けることが出来ず
裏庭も
元の草ぼうぼうに戻りました。
それから時が経ち
私はたまに
その時の選択授業や
空想していた夢を思い起こしては
懐かしいような切ないような
気もちになることがありましたが
現実に埋もれて
忙しい毎日を過ごしました。
今ではDASH村もどきのことも
私の空想のコミュニティも
遠い遠い夢のまた夢ですが
こうして書いていると
やっぱりなぜかちょっと切ないですが
ウキウキした感じも蘇り
空想のコミュニティには同じように魅かれます。
今はマンションですが
秋に庭のある新築の家に引っ越して
妹家族と2世帯で
暮らすことになっているので
とりあえず妹と一緒に
庭で家庭菜園をしようかと考えています。
現実を見据え
目標をもち
計画を立てて
コツコツと努力し
自分の理想に近づいて行くような
生き方をしてきたと思うし
これからもしていくつもりです。
でも時折
私の空想のコミュニティのような
壮大な夢を想うのも
楽しくて
いいものだと思いませんか。
不思議とこの私の夢は
よくある「どうせかなうわけない。」みたいな
変な劣等感がついてくるものとは
別の次元にあって
それが頭の中にあるだけでいい
みたいな感じです。
あなたにも
そんなふうな夢がありますか。


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