宗教を信仰するということについて

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こんにちは。
キラです。
                 
ある日の会話をきっかけに
テレビや新聞や本に載っている
宗教を連想する言葉が引っかかるようになったり
偶然信仰をもつ知人から連絡があったり
自分が宗教についての単元の授業をしたりすることが続き
宗教や信仰についてしばしば考えました。
そして信仰をもつ人と
もたない人の違いは何かについても考えました。
今回はそんなことを記事にしてみました。
目次

1.ある信者の話

入学式の日に

クラスの生徒の保護者から

「友達に会うのが気まずいと言うので

遅刻して行きます。」

と言う電話がありました。

それで私は入学式の会場を出て10前から

正門のところで待っていました。

そうすると会場を密にしないために

登校時間を遅くして

1030登校のはずの23年生の何人かが

すでに来ていました。

その子たちのうちの一人が

20mくらい離れたところから声を掛けてきました。

正門のところに立っていた

生徒指導部長の先生に

「早く来ていますね。」と言うと

その先生は

声をかけて来た女の子のことについて

話し始めました。

その女の子は色々と指導が大変な子で

家に居り場がないから

早く来るのだそうです。

その子は母子家庭で祖父母と一緒に住んでいて

母は鬱病を患い自分のことで精一杯で

子どもに目がいっていないそうです。

祖父母は彼女に真剣にかかわろうとしますが

厳しく指導しようとするのでので

彼女はひどく反抗しているそうです。

そしてその子は家族ぐるみで

ある新興宗教の信者で

人にいっさい触れないし

人が触れたものにも触れないのだそうです。

その宗教の名前を聞いたら

その宗教の信者の子を

私も担任したことがありましたが

人に触れないというのは聞いたことがありませんでした。

私が聞いたことは

歯科以外の病院にかからないことや

夏休みとかと長期の宿泊研修があることや

その宗教の関係の高校もあるということでした。

私のクラスだった生徒の両親ともに

その宗教団体の幹部で

私の住む都市の支部の支部長を任されたということで

2年生の時に転校してきました。

彼が話したことですが

中耳炎に罹った時耳から膿が出ているのに

保護者は病院に行かせなかったということには驚きました。

その先生と話しながらそんなことも思い出しました。

その先生は

「そういう宗教を信仰する人の考えは理解し難いけれど

辛いことがあるから宗教にすがるのだろう。」

と言いました。

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確かにその女の子のお母さんは辛そうです。

でも私は私のクラスだった生徒の一家が

なぜその宗教の信者になったのかについては

考えたことがありませんでした。

彼も両親も信者であることを誇り

一途に信仰している感じだったので

私は信者であることが

ある意味彼の個性のように感じたていた

ふしがありました。

また周りの生徒たちも

同じような感じ方をしていたと思います。

そんなことをお互いに話したり

考えたりしていたら

次々と在校生がやって来て

式も終わったので私は教室に行きました。

2.日本人と宗教

教育基本法の第9条(宗教教育)には

「宗教に関する寛容の態度および

宗教の社会生活における地位は、

教育上これを尊重しなければならない。」

とあります。

当然これは憲法第20条の

信教の自由の保障を受けた規定です。

だから例えば

イスラム教徒の生徒が入学や転校をしてきたら

教職員全体で情報を共有し

その生徒の食事や1日5回の礼拝や

断食などの五行にも配慮するし

必要があれば保護者の許可の上で

クラスや学年学校全体にも周知して理解を促す

などといった形で信教の自由を尊重します。

でもこれまで

イスラム教を信仰する生徒が

学校にいるとうことはなかったので

そういう体制をとったいう経験はありません。

でもいつかの修学旅行の際に

宗教上の理由から

神社の鳥居をくぐらない生徒がいましたが

わざわざ迂回して入ったその生徒に対して

教員も生徒も

別段問題にすることがなかったのを覚えています。

前に書いた男子生徒に対する

周囲の反応も含めて

それは学校教育の賜物というより

日本人には宗教に対する

寛容性があるからではないかと

思ったりしました。

3.キリスト教について思ったこと

世界宗教といわれるものは

仏教、キリスト教、イスラム教です。

現在世界人口は約78億人で

そのうちキリスト教の信者は

23億人で最も多いです。

そして聖書は

過去から1000年にわたってベストセラーです。

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キリスト教は、絵画、音楽、文学

ヨーロッパのあらゆる文化

社会の発展に

計り知れない大きな力を与えてきました。

日本のキリスト教徒の数は

人口の1割にも満たない程度に過ぎません。

でもクリスマスをはじめ

身近なところでキリスト教は浸透しています。

教会でキリスト教式の結婚式をあげる人もいます。

聖書にあるようにイエスは

「心を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」

「隣人を自分のように愛しなさい」

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と言います。

キリスト教は無償の愛を説く宗教です。

そのキリスト教が今も

世界中に影響を与えています。

私はアメリカのドラマをよく見ますが

そこには

キリスト教の世界観を語る場面が

しばしば出てきます。

例えば

『シール・チーム』という

アメリカドラマの例を紹介します。

『シールチーム』は

10人足らずの人員で構成される特殊部隊が

世界をまたにかけて

テロリストや悪の組織から人質を解放したり

その組織を壊滅したりする話です。

そのドラマで最近見た話に

興味深いものがありました。

その話の中で南米マフィア組織のNo.2を捕らえて

ボスのアジトを聞き出そうたする場面がありました。

そのNo.2は組織の勢力増強のために

悪と残虐の限りを尽くしてきました。

捉える際に致死的な傷を負った彼を

チームが責め立てたけど

ボスのアジトを明かそうとしませんでした。

でもその男でさえ

死ぬ前に死後天国に行くため

臨終の秘跡を求めたのです。

彼はキリスト教における

死後の世界を信じているのです。

死をも厭わない男が

死後魂が地獄に行くことに恐怖を抱いていました。

アメリカのドラマでは

キリスト教についての

こんな話が当たり前のように語られます。

また、ドラマからは離れますが

1970年代に月面に立った

アメリカの宇宙飛行士12人のうち3人までが

地球に帰還したのち宗教的仕事に就いたということは

よく知られています。

神にふれた経験を語り

心霊科学に関心を寄せるようになったのです。

彼らは元々キリスト教の信者でしたが

彼らがふれたという神は

どんなものだったのでしょう。

彼らは化学的な探求のために

宇宙へと飛び立った宇宙飛行士でしたが

神秘に触れ

信仰を強めて帰還したのです。

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4.信仰をもつこと

私には宗教を信仰する人に対する

羨望の気もちががあります。

一方で宗教を信仰する人の気もちが

理解できていません。

なぜ合理的とはいないものを

信仰できるのかと考えてしまうからです。

世界的に著名な科学者や

思想家や作家の中にも

宗教の敬虔な信者が多くいます。

そのような人は

神とか奇跡とか天国とかを

本当に信じているのでしょうか。

そのような人たちにとって

信仰とはどんなものなのでしょうか。

そのような人たちにとって

論理的な思考と信仰は矛盾しないのでしょうか。

私の知り合いのご主人は

著名な新聞のコラムニストですが

お嬢さんが

キリスト教の一派のような宗教の

伝道者になったことがきっかけで

熱心な信者になられました。

以前その知り合いと

そのご主人のコラムニストと

友人とでお食事をしたことがありました。

その時何の話題かは覚えていませんが

議論になった時

そのコラムニストの方に

私の意見の根拠が抽象的で感覚的だと

厳しく批判されたことがありました。

だからそのコラムニストの方が

その後奥様と一緒に

そのキリスト教の一派の熱心な信者になられて

毎週日曜日に教会に通ったり

多額の寄付をしたりしていて

その信仰を支えにしていると聞いて

大変驚きました。

私も彼らに誘われて教会に行き

牧師の方の話を聞いたり

秘儀的なものを受けたりしましたが

拒絶感しかなくて

信仰するには至りませんでした。

私が確信をもっているのは

信仰をもつということは

自分の軸をもつことかできるということです。

自分自身の中に

信じるに足る根拠が

常にあるわけだから

自分を肯定することにも

つながっていくと考えます。

そうすると動揺するようなことがあっても

すぐに自分の中心にもどることができたり

感情的にもぶれことなかったりして

いつも揺るぎない価値観をもっていることができます。

だからどんな宗教の信者かとか

どれほど敬虔な信者であるかとかが

問題なのではなくて

宗教を信仰することで

周囲やひいては

世界にどんな影響を与えることができるかが

重要なのだと思いました。

ただ信仰をもたなくても

自分軸をもち

ぶれない人はいると思います。

それは家族に愛され認められる家庭環境で育ち

学校や職場の人間関係でも概ね認められて来た人か

そうでなくても何らかの方法で

自己認識を変えた人です。

自己認識を変えるのは難しいことです。

でも自己認識を変えることによって

世界に影響を与え

世界を良くすることもできるわけです。

以前の記事

世界を良くしようとする人の視点について書きましたが

今回はその視点をもつ人の

あり方につながる話になりました。

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