こんにちは。
キラです。
今日は私の妹について書きます。
以前の記事でも妹のことには触れました。
妹と私は1つ違いです。
妹とは血の繋がった家族ですが
ずっと一番身近な友人でもありました。
私と妹はずっと何でも話しあってきました。
そしてカウンセリングの勉強は
教師としての必要性から始めましたが
妹の辛い時期を支えることができたのは
それで学んで得たもののおかげで
妹の話を深く聞いて
理解することができたからだと思います。
今回から始まる話は
その妹の
新たな人生にへ向かう歩みについてです。
1.私たち姉妹の家族のこと
私の家は大家族で
祖父母と両親と
私たち3人きょうだいの7人家族でした。
幼い頃には
叔父さんが結婚するまで
一緒に住んでいました。
大袈裟にいうと
家父長制度が残っているような家庭で
おじいちゃんを頂点とした
ピラミッドの関係の家庭で
母や私たち姉妹は底辺でした。
母も同じような家庭で育ったようで
専業主婦なのもあって
その地位に甘んじていたような気がします。
弟が私が6歳の時生まれて
父や祖父が大層喜んだ記憶が
鮮明に残っています。
弟はそれは大切に育てられました。
その当時の私にはなんでそんなに待遇が違うのか
理解できませんでした。
しかも弟の将来には
たちが大いに期待しているのに
私たち姉妹には期待どころか
あまり前に出ず控えて生きることを
期待しているようなことをよく言っていました。
最近東京五輪・パラリンピック組織委員会の
森喜朗元会長の発言が問題になりましたが
私の両親も表面的には
男女平等を支持しているような発言をしていましたが
家庭では森さんと似たようなことをよく言っていました。
だんだんと
両親の考え方が偏見であることが
理解できるようになり
私にも年子の妹にもそれに対する
反骨精神が育つようになりました。
反骨精神というより
私たちにだって何だってできるということを
両親に認めて欲しかったのだと思います。
そして私と妹が勉強などを頑張る原動力は
両親が私たちのことを感心して褒めてくれることへの
期待だったと思います。
そのうちその対象は両親から
社会一般となり
将来社会人になったらキャリアを積んで
周囲から一目置かれるようになることが
私たち姉妹の目標になりました。
私たち姉妹二人は
両親の期待に反して大学に進学しました。
そして私は教師になりました。
妹は大手の建設会社に就職しました。
2.妹のキャリア
妹はそうして
大手の建設会社に就職したけれど
その会社は保守的だったので
男性の補佐的な仕事しかさせてもらえず
妹は2年で辞めました。
それから父親のコネで
半公共企業的な企業に就職しました。
その会社の社長から始まって
上級職に一人も女性はいなかったので
完全に男性と女性を平等視していたとは思いませんが
女性が男性の補佐的な仕事のみ
ということはありませんでした。
妹の仕事は最初事務の仕事から始まって
厚生関係の仕事をするようになりました。
仕事への前向きな姿勢が評価され
任される仕事が増えていきました。
そのうち妹は
大学の国文科を出ていて文章を書くことが得意だったし
小学校の時から絵を描くことも得意で
文科大臣賞をもらったこともあり
芸術的センスがあってので
それらを認められて
広報の仕事を任せられるようになりました。
広報の仕事を任せられて
広報誌の編集もするようになりました。
広報誌が読みやすく
興味を惹くようなものになったと言ってもらったり
そこに自分のコラムも書くようになり
その評判も良かったりしたようです。
取材のために何日か家を開けて
出張にも行くようになりました。
テレビのCM制作で
キャラクターの着ぐるみを自ら着て
出演した話が面白かったです。
仕事にやり甲斐を感じて
充実した毎日だったようです。
また妹から
後輩たちから「憧れる。」と
言われたという話も聞きました。
面倒見がいい人でもあったので
慕われていたと思います。
3.妹の気付き
妹にとっては家族関係も
家庭生活も順調でした。
支店がたくさんあるので
職場は違いますが夫とは職場結婚で
夫は同じ企業でキャリアを積んだ
仕事のできる人です。
彼は人格的にもすぐれた人なので
部下からも信頼が厚いです。
家庭でも良き父親で夫です。
こどもたちもサッカーも勉強も頑張っていて
学校での評価も高かったので
順風満帆な感じでした。
でも妹は夫が単身赴任になったり
子どもたちに問題が起こったり
進路の選択の時期になったりした時に
仕事が順調であればあるほど
家庭のことにあまり気もちを裂くことができなくなることに
少し悩んでいるふうでした。
家族を犠牲にしているのかもしれないと思うと
子どもや夫のことを不憫に思うようでした。
何にしろ大切な家庭を幸せにできなくて
自分は幸せなのかと疑問に思うと
いったようなことを言うこともありました。
妹は会社でも後輩の相談にもたくさん乗っていたようだったし
私や両親のこともいつも気にかけて
助けてくれるような人でした。
そんなことを通して妹は自分が本当は
人が幸福になるように
支えたり助けたりすることに
喜びを感じるのだということにも気付いていきました。
4.甥の統合失調症発症
妹が20年以上勤めた頃
甥が大学1年生で統合失調症を発症しました。
心理学科だった甥は
自分の精神的な異変に気付き
妹に「自分は精神的な病気だと思う。」と
言ってきたそうです。
妹がすぐ心療内科に連れて行き診断を受けさせると
医師は統合失調症の宣言をしました。
甥の発症のきっかけは人間関係でした。
小学校時代
甥は小学校まで
サッカーの才能にあふれ
Jリーガーになる夢を語っていました。
学校の成績もよく
ジャニーズのような容姿で女の子にもモテて
バレンタインデーにはチョコをたくさんもらって
私にも分けてくれていたくらいです。
彼はイギリスにサッカー留学したいと言っていて
所属するサッカーチームの監督をはじめ
誰もがそれが可能だと思っていました。
妹の夫もそれは彼の将来に期待していました。
中学校時代
中学1年生の時に
たまたま前の席に不良の子がいて
その子に気に入られて仲良くなりました。
授業中もずっと話しかけられて
人のいい甥は注意したり断ったりできずに
彼に付き合ったので
授業に集中できなくなり
わずか1学期で成績が大きく落ちてしまいました。
心配した妹は担任の先生に
席替えを頼みに行きました。
でも担任は「自分の責任だから
そんなことでは席替えはできない。」
と言っただけではなく
席替えをしてもまた甥を彼の近くにしました。
その不良の子の相手ができるのが甥だけだったからです。
それなのにまその不良の子とつるんで
授業を妨害していると言って
いつも甥だけを叱りました。
不良の子を注意すると反抗されて
面倒なことになるからです。
甥はサッカーにも身が入らなくなり
練習や試合に遅刻するようになり
レギュラーも外されました。
私は甥が3年生の時
たまたま甥の学校に赴任したので
学年は違ったのでその担任とは交流はありませんでしたが
その当時の担任のことやその時のクラス経営のことを
知り合いの教員から聞いて
詳しく知るようになりました。
私が赴任した時は
その担任は教務部長になっていて
担任はしていませんでした。
もちろんその教えてくれた先生以外の人は
私と甥の関係は知りませんでした。
元気で天真爛漫だった甥の雰囲気が変わってきたのは
その中1の終わり頃頃からです。
甥はますます教師からも注意されるようになり
成績も落ち続け
夢を語ることもなくなりました。
3年のある時
別の悪い友達と遊びに行って
そそのかされて
その子の持っていた他人名義のICカードを使って
乗車したことで指導を受けました。
その結果高校受験で推薦してもらえなくなり
全て一般受験することになり
志望の枠が狭まりました。
その友人は自分がそそのかした自覚があるので
甥にひたすら謝りながらも
全てを甥のせいにして自分は指導を逃れたようです。
甥は一切彼の告げ口をしませんでした。
私が事実を言ってやろうと思ったけれど
甥がそれを望まなかったのと
証拠がなくさらにややこしいことになって
甥を追い詰めてはいけないとも考えて
諦めました。
甥は中学校では
友達に引っ張られ
担任に助けてもらえず
勉強もサッカーもやる気をなくし
Jリーガーへの夢からも遠のき
友達にも裏切られ
大きな失意と挫折を経験しました。
その時私たちはそんな彼の味方ではありましたが
助ける術はもっていませんでした。
でも彼は本当に行きたかった高校ではありませんでしたが
実力である高校に合格しました。
私は妹に頼まれて甥の高校受験のために
数か月間ずっと家庭教師をしました。
その時甥はぽつりぽつりと
気もちを語ってくれることがありました。
高校時代から大学1年まで
高校では少しもち直して
そこそこサッカーも頑張り
大学進学の目標もできました。
3年の時
第一志望の大学の推薦入試の願書を
担任が渡し忘れて
提出期限に間に合ったわないということが起こりました。
その大学は一般で受けると難しいのですが
甥はサッカーの推薦で受けるので合格の可能性もありました。
担任は甥がどうせ受からないと思って気が緩んだのか
まだ経験が浅い若い教員だったから失敗したのかわかりませんが
私はそれを聞いてこんなことがあっていいのかと
怒りを感じてしょうがありませんでした。
それは妹夫婦が
学校を相手に抗議でもしようものなら
大変な不祥事になるようなミスでした。
でも妹夫婦はとりあえず
第二志望の大学に
推薦してもらわなくてはいけないし
状況を長引かせて
甥の気もちを追い込むことを恐れ
ひたすら謝る担任を非難することなく
大学入試を進めました。
妹はこの時の話を私に逐一報告してくれました。
そして「もっと早くから全力で
我が子の支えになることができていたら
こんなに辛い思いをさせることもなかったのに。」と
泣いて私に訴えました。
甥はここでも人に失望し
そんな仕打ちを受ける自分にも失望しました。
この頃の甥はすでに
小学校の時の明るい希望に満ちた
笑顔の眩しかった子とは別人のようになっていました。
自分で感情を遮断している感じでした。
そうして入学した大学で
入学してすぐに
心ない学生とのトラブルがあって
甥の精神はとうとう破綻してしまいました。
この後妹家族の苦難が続きます。
妹はその苦難に立ち向かって行きました。
続きは次の記事で書きたいと思います。
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