いよいよ梅雨開けです。
今年の夏は私を試すかのように
ゆっくりとした足取りで
やってきました。
今年の夏は私にとって
何もかもが違う夏になると思います。
梅雨明けの宣言が出されても
しばらく空はどんよりして
夏の勢いは感じられませんでしたが
やっとセミ達も少しずつ
元気なこえを上げ始めました。
夏休みの記事の最後です。
私はあの「夏休みの感覚」
自己肯定感につながる感覚を
味わうことが
できたのでしょうか。
まずは大学以降の夏休みについて
話します。
1.大学の夏休み
大学は高校と違って
部員は休まず部活に来るし
規律のあるきちんとした部活だったので
思いっきり部活ができました。
大学から2km離れた
寮と合宿所のある所に
テニスコートはありました。
毎日の練習では大学からそこまで
走って行くのがトレーニングでした。
部員はそんなに多くいませんでしたが
コートは常設が4面あって
ネットを張ればあと3コートは
作ることができました。
だからそこで
公式試合があったこともありました。
何よりも
みんな真剣に部活をしていました。
みんなで同じ目標をもち
練習する毎日を重ねて
強い仲間意識ももっていました。
先輩たちには
やはり近寄りがたいものがありましたが
高校までの部活と違って
チームを第2の家族のように
大切にする意識があって
先輩たちは後輩たちを
よく気に掛けてくれました。
そうやって
4年の夏まで部活をしました。
毎日トレーニングと練習に励みました。
今までより夏休みは長くなり
試合も夏休みにたくさんありました。
大学の合宿所で
1週間くらいの強化合宿もしました。
いつも確かな目的がありました。
学校の伝統を賭けて戦い
試合に勝って
より上位に這い上がろうと
真剣に取り組みました。
勝利の喜びも
負けた悔し涙も
みんなで分かち合えました。
大学時代全巻大人買いして何度も読んだ
お蝶夫人が言っていた
「伝統をより高めて
次の次の世代に伝えなさい。
それが伝統を担う者の務めです。」
という言葉を念じては
熱くなっていました。
大学の4回の夏休みの間
夏に突き動かされるように
無心に部活をしました。
その時の自分を思い出すだけで
夏の感覚がよぎります。
大学の夏休み
私ははっきりとした目的に向かって
限界さえ意識せず
ただ走り続けました。
やはり
夏に部活に熱中する自分が
好きだったし
誇らしかったです。
2.社会人の夏休み
職場が学校だったので
授業がなくなる夏休みは
やはり特別でした。
中学校の教師の時は
ずっとテニス部の顧問をしていたので
夏休みは生徒たちと一緒に
真っ黒になって
猛暑の中毎日練習をしました。
私がトレーニングをすることは
なくなりましたが
コートで生徒と一緒に
ボールを追って走りました。
生徒たちといっしょに
滝のような汗を流しながら
やはり無心に練習をしました
試合に向け同じ目標をもって
辛い練習をともに乗り切ることで
いつもチームのつながりを
育てることができました。
その中でも
本当に強いつながりを築くことができた
チームがありました。
強くなりたいというその生徒たちと
いろんなところに遠征に行きました。
トレーニングのために
いつもその生徒たちに
川土手を走らせて
走り終わってからすぐ帰らずに
みんなでしばらく
川べりに並んで座るのが常でした。
そんなある夏休みの日に
光る川面と
並んで泳ぐ鴨たちを見つめていて
生徒たちははしゃいで
「俺たちみたいに走っとる。」とか
「前にならえ!」とか
口々に言っては笑いました。
それが突然みんな黙って
放心したように
目の前の風景をただ
見つめ始めました。
時間だけがゆっくりと
過ぎていく感じでした。
その時なぜか
全員が同じような
満ち足りた気もちになっているのが
感じられました。
たったそれだけのことなのに
その時自分は
至福の時を
生きているのではないかと
思いました。
そして試合では
そんな生徒と共に勝利に歓喜しました。
負けて悔し泣きする生徒に
「負けて泣いてはいけない。
泣くのは勝ってから。」
と言いながら自分も泣いていました。
生徒とともに
夏休みを過ごす私にとって
社会人になっても
夏休みの感覚は変わることなく
私の中にありました。
そして深呼吸するたびに
その感覚に満たされました。
特別支援学校に勤めるようになって
部活指導はなくなりましたが
なぜか夏休みに入ると
また同じ感覚を味わうことができました。
身体中が覚えている感じでした。
3.夏休みの旅行
以前の記事で書いたように
小学校の時も
夏休みの旅行は特別でしたが
社会人になってからの
夏休みの旅行のいくつかは
忘れ難い記憶として残っています。
夏休みにはよく小旅行に行きました。
2〜3泊が多かったので
そんなには遠くまでは行きませんでしたが
よく覚えている旅行がいくつかあります。
でも一度だけ海外に2週間滞在した
旅行がありました。
マレーシア旅行です。
試合の日にちの関係で
夏休み中に続けて10日くらい
休みが取れることがありました。
マレーシアに叔母さん夫婦が住んでいました。
いとこと行きました。
部活を初めて1週間休みました。
叔母さんの夫の父が経営する会社の工場が
ジョホールバルにあったので
叔母さん夫婦は
そこの工場の経営を任されていました。
叔母さん夫婦は
現地の人に
経営を任せることができるようになるまでの
3年間滞在していました。
叔母さん夫婦は
プールとテニスコート付きの
高級マンションに住んでいました。
ワンフロワ1室で
広いLDKと寝室に
トイレバス付きの客室が3つもありました。
客室一つが私の部屋でした。
高級ホテル並みの部屋でした。
毎日いとことテニスをして
プールに入りました。
ゴルフウェアを一式買ってもらって
打ちっぱなしに行って
初めてゴルフコースも回りました。
夜は高級レストランで
ドレスで食事をしました。
ドレスはいとこのを借りました。
生まれて初めての
セレブのような生活でした。
マレーシアでのことは
また詳しく書きたいです。
そのほか
屋久島に行ったのにも
特別な思い出があります。
母と行った旅行もありました。
これらの旅行のことも
また次の機会に記事にしたいです。
旅行は
いつも頑張る自分への
プレゼントでした。
私は旅行に行くとよく
楽しんでいても突然
虚しいような怖いような気もちになって
家に帰りたくなりますが
夏休みの旅行では
そんな気もちになることは
ありませんでした。
夏の力強い明るさのせいかもしれませんが
夏休みに行く旅行の記憶は
どこへ行って何をしても
自分の中の暖かく光るものへと
つながって行くような感じでした。
4.今年の夏と夏休みの感覚
こうして私は歳を経るごとに
夏休みの感覚を強めていき
夏休みの自分と夏という季節を
価値あるものとする意識を
強めていきました。
でも仕事を変えた今年の私には
夏休みと呼べるものはありません。
これから先も私には
夏休みはやって来ないでしょう。
だからあの夏休みの感覚も
失われてしまうのでしょうか。
夏休みの感覚は
夏休みの始まりを認識すると
立ち上がるようにわき起こってきます。
夏を懐かしむような意識と
開放感と
ワクワクする期待が入り混じった感情の
すべてを一つにしたような感じと
そして永遠に触れる感覚と安堵感として
わき起こってきます。
以前の記事で書きましたが
その感覚は自己肯定感とつながっています。
夏休みが私にとって大切なものなのは
休みの間はいつでも
自己肯定感を確認できだからでした。
そして永遠を感じて安堵できたからでした。
夏休み限定にしろ
自己肯定感を失ったら
絶望感をもつようになります。
絶望感を抱えるようなことは
避けなくてはいけません。
だから私は
この夏の季節が終わるまでに
“夏休み“という時に
条件反射して沸き起こっていた
その感覚を
いつも感じることができるものに
していこうと思います。
今の私にはそれができると思います。
なぜできると思っていると思いますか?
どのようにするのか知りたいと思いませんか?
私が成功したのかどうか
知りたいと思いませんか?
それは夏が終わる頃お知らせできると思います。


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