こんにちは。キラです。
学校に通う時代には
毎年夏休みがあります。
それは1年間で異質な時間が流れる
40日余りの日々です。
その夏休みが今年は
違ったものになったようですね。
みんなどのような気もちで
この夏休みを迎えるのでしょう。
でもこれまでの夏休みはきっと
誰もの意識の底に
何かを残していると思います。
今日は夏休みが私の深い意識の底に
残したものの話です。
1.夏休みの感覚
毎年同じように繰り返される
私の1年間の生活の真ん中には
いつも長い長い夏休みがありました。
それは小学校から去年まで
変わることはありませんでした。
夏休み中ずっと本当の意味で休みで
自由だったのは小学校までですが
中学校以降の違った夏休みでも
終業式が終わって家に帰って
夏休みが始ったと思うと
いつも同じ感覚が湧き起こってきました。
その感覚は
夏を懐かしむような意識と
安堵感と開放感と
ワクワクする期待が入り混じった感情の
すべてを一つにしたような感じで
深呼吸するたびに
その感覚に満たされることが
私の夏休みそのものでした。
私は夏が好きです。
夏休みが来ると
こみ上げてくるその感覚が好きです。
その感覚が作られていった
私の小学校時代の夏休みの話をします。
小学校時代の夏休みを占める記憶は
家族旅行とおばあちゃん家での日々です。
2.家族旅行
小学校1年生から毎年
夏休みに入るとすぐ
家族旅行に行っていました。
両親と私と妹と弟の5人の旅行でした。
旅行先はそんなに遠くではありませんでしたが
父の運転するグレーのカローラで
2〜3泊程度の小旅行に行っていました。
ごく普通のサラリーマン家庭でしたので
質素な旅行でしたが
旅館やホテルに泊まったり
観光地を回ったりするのは楽しかったです。
月並みですが
旅行の間は
普段と違う時間が流れている感じでした。
友達にはいつもいい人だけど
母や私たちには厳しく
母や私たちを怒鳴りつけることの多い父が
旅行の間はなぜか優しかったのが
不思議でした。
母は嬉しそうでした。
旅行中の私たちは
穏やかな空気に包まれていました。
旅行で父は必ず
私たちにお土産を買ってくれました。
私たちきょうだいが
買ってもらったお土産は
たいていおもちゃでした。
私が高学年になると妹と二人に
お揃いの茶碗とかカップを買ってくれました。
弟は6つ離れているので
やっぱりずっとおもちゃでした。
でも私が3年か4年のどっちかの旅行で
父がネックレスを買ってくれました。
妹と二人に同じものを買ってくれました。
それは子どもがするようなものではなく
宝石がひとつついた
細い鎖のシンプルなものでした。
私が見つけて欲しがったものでした。
年齢も10歳くらいだったし
そんなにアクセサリーに
興味はありませんでしたが
その時はなぜかそれが欲しいと思いました。
いつもの
儀式のように買ってもらったお土産も
それはそれで嬉しかったけど
この年のネックレスはとても嬉しかったです。
何かの拍子に
そのネックレスの存在を思い出しては
手に取って眺めていました。
それを付けた記憶はありませんが
今でも大事にしまってあります。
私にとってそれは
家族旅行の象徴のようなもので
宝物のようなものだったと思います。
その家族旅行は
私が中学校に入学して
部活をはじめたことで消滅しました。
父にとって家族みんなで行くことに
意味があったようです。
だからと言って父が
私が行けなくなったことに
腹を立てていた訳ではありませんでした。
運動が得意で
会社の野球チームの主力で
プロ野球から誘いが来たことを
自慢にしていた父にとって
私がスポーツに打ち込むことも
大事だったようです。
3.おばあちゃん家で過ごした日々
8月に入ると
毎年1週間か2週間は
きょうだいで
母方の祖母の家に預けられました。
物静かで優しい祖母が大好きでした。
でも祖母の家で過ごした間
私は祖母に
わがままばかり言っていました。
祖母が作ったことがないという料理を
よくねだった記憶もあります。
いつかナポリタンを作れとせがんで
困った祖母は
母に電話をかけて聞きながら作ってくれました。
出来上がったナポリタンは
なぜか母のより美味しかったです。
叔父さんが祖母と暮らしていました。
叔父さんは若くてハンサムで
自衛隊員でした。
私たちは
「ひろし兄ちゃん」と呼んでいました。
寡黙な人でしたが
私たちが預けられるようになってから
毎年夏祭りに連れて行ってくれました。
私が小学校の高学年になった頃
ひろし兄ちゃんは祖母の家を出て
別に暮らすようになりました。
遠くに派遣されたとかも
あったような気がします。
ひろし兄ちゃんが出て
誰も使わなくなった部屋が
私たちの遊び場になりました。
タンスが残っていて
ガラクタのようなものが
たくさん入っていました。
いつだったか
きょうだいと従兄弟で
ひろし兄ちゃんの部屋で
宝探しをしていて
私がライフルの弾倉を見つけました。
弾もぎっしり入っていました。
それを手に取ってみた途端
私はなぜか怖くて怖くて
仕方なくなりました。
そして祖母に捨ててきてくれと
駄々をこねました。
雨がザーザー降る日でした。
祖母は渋りましたが
私は祖母に懇願しました。
仕方なく祖母は行くことを了承しました。
祖母の家は山の中腹にありましたが
そこからしばらく上がったところに
私たちが「ザリガニの池」と呼ぶ
大きな池がありました。
従兄弟はよくそこで
糸を使ってザリガニを獲っていましたが
ザリガニは見かけが怖くて
私は触ることもできませんでした。
捕まえたザリガニを
従兄弟がどうしていたのかよく覚えていませんが
従兄弟が捕まえたザリガニたちの胴体をもって
1匹ずつ嬉しそうに眺めていたのを
覚えています。
何となく
取るのが遊びで
取れたことに満足して
帰るときに
池に逃していたような気もします。
そのザリガニの池まで
祖母は激しい雨の中を
山道を歩いて
弾倉を捨てに行ってくれました。
傘をさして行ったにもかかわらず
ずぶ濡れで帰ってきた祖母を見て
なんだか悲しくなりましたが
それが家になくなったと思うと
ものすごく安心しました。
従兄弟の家は
祖母の家から山を降りて
少し行ったところにあって
何日かは従兄弟の家にも泊まりました。
従兄弟の家で何をして過ごしたかは
全く覚えていませんが
祖母の家ほど楽しくなかったし
退屈ですぐ帰りたくなったような気がします。
おばあちゃん家の夏休みも
私が中学校に入学してからは
なくなりました。
なぜか妹と弟だけで
行くことはありませんでした。
きようだい3人でセットでした。
4.小学校の夏休みの意味
これまで
夏休みに入ったと思うとすぐ
湧き上がり私を満たした
あの感覚は
小学校の夏休みに生まれて
毎年育ち
中学校以降繰り返し味わっても
ずっと変わることはありませんでした。
後でわかりましたが
その感覚は
自己肯定感みたいなものへと
つながっていたので
心地よく感じられ
どんなに厳しく辛い夏があっても
私は夏が好きだったのだと思います。
中学校
高校
大学
教師時代と
夏休みは毎年やってきて
同じ感覚を味わってきました。
夏休みの間はいつでも
夏休みだと認識するだけで
無心に過ごして
満たされていた時の感覚を
取り戻すことができました。
教師でなくなったので
今年からは夏休みはありません。
だからあの感覚を味わうことは
できないかもしれません。
真ん中だった夏休みがなくなると
私の一年はどんなふうに変わるのでしょう。
それとも
梅雨明けと同時に
夏がやってくれば
またあの感覚を
味わうことができるのでしょうか。
今激しい雨が降っています。
この連休はずっと雨だそうです。
でもあたりが一斉に蝉のこえに満たされ
夏の到来を告げる
梅雨明けはもうすぐです。
中学校以降の夏休みの話と
私が夏休みになると満たされるあの感覚を
今年も味わうことができたかどうかの答えを
梅雨明けの後の記事に書こうと思います。
あなたも何回も夏休みを経験しましたね。
あなたにとって夏休みはどんなものでしたか。
私のように
夏休みが与え続けたものに
あなたは気付いていますか。


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