ADHDの生徒とのかかわり

B061184D-8CDC-4C66-B79F-708D5149A39D.jpeg カウンセリング

こんにちは。キラです。

前回の記事

Bの幼少から中学校までの

ことについて話しました。

ここでは主に

Bが私の勤めていた

特別支援学校に

入学してきてからのことを話します。

目次

1.入学当初のB

前回の記事で書いたように

Bは小学校入学前に

ADHD(注意欠如・多動

症または注意欠如多動性障害)

診断された男子生徒です。

定期的に通院し

服薬していました。

ADHDの原因としては

脳内の神経伝達物質の働きが

うまくいっていないことが

考えられています。

日本で現在使用されている

ADHDの治療薬としては

ドーパミンという神経伝達物質の

伝達を助けるものと

ノルアドレナリンという神経伝達物質の

伝達を助けるものとがあります。

それぞれ効果発現の時期や

副作用の出方が違うため

うまく使い分けていく

必要があるそうです。

Bは不安や怒りをよく感じ

それがストレスになっていたので

それを抑える薬を飲んでいました。

でもBは

中学生くらいから

薬を飲むのを嫌がるように

なったそうです。

高校では通院も止め

薬も全く飲んでいませんでした。

「薬を飲まなくてはいけない

自分が嫌だったから。」

だそうです。

入学当初

新しい環境に馴染めず

Bはよくイラついたり

不機嫌そうだったりしました。

彼の要求や言動は

周囲から見たら自分本位で

甘えているように見えました。

だから彼は

要求を受け入れてもらえない

怒りや苛立ちや不安を

態度に出したり周囲にぶつけたりして

そのことで周りが疎んじて距離を置くので

さらに強く

怒りや苛立ちや不安を感じるという

悪循環をしばらく繰り返していました。

中学校では

彼は一人でいるのはいやだったので

一人にならないためには

特別支援学級のクラスの友達を力で支配して

そばに居させるしかなかったようです。

そうされたクラスの子たちは

恐くて嫌でたまりませんでしたが

Bの言うことを聞くしかありませんでした。

入学当初案の定彼は

自分におもねる体質の生徒たちをすぐに感じ取って

その子たちを子分のように使って

やりたい放題の雰囲気を

出してきました。

手先も器用で理解力もあるので

何でもすぐ理解してできてしまうので

すぐ飽きてしまい

授業も真面目に受けませんでした。

席に着いてはいますが

足を投げ出して踏ん反り返って

座っていました。

机に伏せていることもあります。

ずっと立ってする作業学習の時は

教師が説明していてもすぐ座り込みました。

運動能力にすぐれ体育は大好きで

たいていの運動はかなりできるので

ワンマンプレーのやりたい放題でした。

宿題も全くやってこないし

日々の記録もほとんど書いてきません。

彼にはそういうことをやってきたという

経験がありませんでした。

いろんなことが気になり

気になったことは全て

知りたいようで

必ず細かく聞いてきました。

本当に面倒な生徒でした。

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2.入学当初の私の指導

Bはそれまで私がかかわってきた

不良の中学生と同じような生徒なので

同じように対応しました。

私は彼の問題行動を見たら

即座に注意し

いけないことは「いけない。」と

言って頑として譲りませんでし

幸いBのお母さんと

私のタイプが似ていたこともあって

私とBとの関係は良く

とりあえずその場の指導には従いました。

私のクラスは

卒業後の一般就労を目指すクラスなので

彼もある程度良い条件のところに

就職しようと決意して

入学してきているので

小中学校のままではいけないとは

思っているようでした。

とりあえず

小中学校の時のように

授業中に立ち歩くことは

ありませんでした。

また一応授業中の指示にも従いました。

ノートをとったり

小テストの前には

休憩中だけですが

勉強もしたりしていました。

興味深い話はよく聞き

発言もしたがりました。

作業学習は得意なので

すぐに手順を覚えてできるようになるので

真面目に取り組んでいたとは言えませんが

やたら他生徒のやるのを見て

こまごまと注意したり

教えたがったりしました。

だからグループで教えあう場面では

嬉々として

リーダーシップを発揮して

同じチームの生徒の技能向上に

大いに貢献していました。

そんな様子なので

これまでまともに学習してなかった

Bが勉強し始めると

短い期間で

まるでスポンジが水を吸収するように

学力を付けていきました。

そうやって学校に慣れてくると

不機嫌な態度もなくなっていき

笑顔でいることが多くなってきました。

学級経営は得意なので

Bのわがままを許さず

クラスの繋がりを深める取組をしました。

クラスメイトが

彼と対等にかかわれるように

なっていきました。

彼も友達を

子分のように扱わなくなりました。

前回の記事

LD(学習障害)の生徒がいることを

話しましたが

この生徒は

数学的理解が困難であるだけで

作業も正確で

国語的な理解は

平均値より上まわっていました。

そしてこの生徒は

真面目で何事にも全力で取り組み

人格的にも優れた生徒でした。

この生徒に関しても

また記事を書きたいと思っています。

Bはこの生徒のことと

たった一人いた女生徒には 

最初からあまり高圧的では

ありませんでした。

特にこのLDの生徒を

Bは尊敬して

慕うようになっていきました。

3.個別の指導

でもB

いろいろな精神的負担が重なると

不安定になり

教室を飛び出したり

学校から飛び出したりしました。

追いかけて捕まえ

話を聞いていると

いつもぼろぼろ涙を流して

泣きました。

話の内容はたいてい

人が自分のことを

わかってくれないとか

自分を軽んじたとかのような

承認要求のようなことが

多かったと思います。

日頃誰に対しても横柄で

友達にもすぐに

高圧的な傾向がある彼が

そうやって泣くのが意外でした。

お母さんにそのことを話すと

「小学校までは

よく泣いていたけど

中学校からは家でも

泣いたことがないのに。」

と言いました。

何度目かの報告の時には

「泣けるところがあるのは

いいことだ思う。

先生を信頼しているから

だろうと思う。」

みたいな話もされました。

特別支援学校では特に

生徒の対応より

保護者の対応に気を使っていたので

泣くまで叱ったとかで

注意を受けず良かったと

胸を撫で下ろしました。

1年が過ぎた頃

このままの指導では

いけないのではないかと

思うようになりました。

クラスメイトとの関係が良くなっても

私との関係が良くても

自分でつくった関係ではないからです。

この関係が支えになるだけでは

ダメなんじゃないかと思いました。

彼は自分の力で

ちゃんと職場に馴染んで

働いていけるのだろうかと

不安になりました。

職場で自分で良い関係を築くような

ソーシャル・スキルを

付けさせる必要があることに

気付きました。

まず撒き散らすように出てくる

彼の多くの不適切な言葉や行動を

何とかしないといけないと思いました。

中学生には

そんな不安は抱かなかったのですが

やはり一般就労を目指して

職業コースに入ってきたわけだから

社会人としてふさわしい会話や

行動を身に付けさせなくては

いけないのではないかと思うと

いてもたっても

いられなくなりました。

彼が社会に出て働くときに

困らないようにするために

何かできることが

あるのではないかと思いました。

これまでの私の指導の目的は

生徒たちにとって良いクラスを作り

助け合い高め合う関係を力に

学力を伸ばすことでしたが

生徒個人の課題へのアプローチが

個別に必要であることに気付きました

4.褒めて褒めて褒め倒す

まず彼にとって

効果的な指導をしようと思いました。

問題とされる行動や言動が多すぎて

効率を考えないとらちがあきません。

しかも今までのように

もぐらたたき的ではダメです。

発達障害の児童生徒の指導について

自分からいろいろなところへ

学びにいきました。

中でも

療育センターの小児科医で

NLP臨床応用研究会をつくったり

医療福祉教育の

コミュニケーション協会の

理事をしたりしている先生の

「発達障害

コミュニケーション指導者講習会」

何度か受けて

重要なことを学ぶことができました。

その先生が

ADHDの子はよく怒られて来て

自己肯定感が低いし

楽しいことが好きなので

とにかく

「褒めて褒めて褒め倒せ。」と

言いました。

これまで私は

いけないことをわからせようと

注意し続け

しかも

しでかしそうな気配を察知したら

やる前からも注意していました。

そしてさらにその先生は

ADHDのの子は

自分が好きだったり

信頼する相手に怒られるのは

面白いと感じていて

怒ることが

その行動の強化になると言いました。

そしてその先生は

「自分の怒っている時の顔を

鏡で見てみてごらん。

面白いから。」とも言いました。

どうりで

これまでわたしがよく怒ってきた生徒たちは

私が怒っても

一応決まり悪そうな感じだけど

笑っていたし

傾向が改善されることがなかったわけです。

私が注意すると

その場では聞いてわかったるふうでも

直そうと言う意識はなかったと言うことです。

晴天の霹靂でした。

自分が長いことやってきた指導が

意味なかったのです。

衝撃的でした。

でもその先生は

私がそんな生徒たちと

いい関係を築いてきたことは

大きな意味があると言ってくれました。

ちょっと救われました。

その先生はもう一つ

教えたいことがあったら

損得をはっきり示して教えることと

その損得を示す時はストーリーで話せとも

教えてくれました。

ADHDの生徒も

自閉症スペクトラムの生徒も

損得で教えると

よく理解するのだそうです。

そしてメタファー(物語)です。

メタファーは万人の

無意識に届きます。

これは私も知っていました。

その後から

Bの指導を意識するようになりました。

でも怒って注意するの

条件反射のようになっていて

気がついたらすでに

怒っているので

怒らないというのは

なかなかうまくいきませんでした。

というか

日々注意したくなることが

多すぎて

反対に褒めることが

見つからなくて

集中できませんでした。

そこで怒って注意するのは

まだやめられないので

まず褒めることからがんばりました。

よくよく観察するとやっぱり

Bは私が注意すると

「すみません。」とか

「ごめんなさい。」とか

すぐ言って

その場ではやめるけど

その行動が改ってはいませんでした。

私が見てなくて注意しなくても

周りの生徒が

注意をするようになっていました。

友達に注意されたBは

ほとんど言うことを聞きませんが

嬉しそうに笑っていました。

不適切な行動や言動をすると

楽しい刺激がいっぱいあったわけです。

ただ

中学校の時の同級生によると

生徒が注意するとか

それに対してBが怒ったり

凄んだりしないとか

中学校の時のBには

あり得ないことなのだそうです。

お互い何でも言い合える雰囲気ができて

クラスの人間関係は

確実に良くなっていました。

褒めることを

頑張っていたある時

Bがいつも通りすがりに蹴っていた

カラーコーンを蹴りかけて

自分からやめる

ということがありました。

いつも

蹴ったBを私が注意して

「くせになっていて。すみません。」

とか何とか言って笑うという

ルーティンが一年近く

続いていたのですが

これをまず注意をするのを

やめてみようと思って

しばらく注意していませんでした。

私がやめてからも

生徒はたまに注意していましたが

そのままにしていました。

そうしたらいきなり自分で

思いとどまったのです。

2週間くらい

蹴らない日が続いた時

ここぞとばかりに

思いっきり褒めました。

それ以降Bは

カラーコーンを

もう蹴ることはありませんでした。

その小さな成功を励みに

一つずつ注意するのを我慢しました。

長年の

自分の成功体験に基づいた

指導を変えるのは

ストレスでしたが

少しずつやっていきました。

そうすると

注意するより確実に

効果があったので

そのうち面白くなってきました。

その一方で

得意なメタファーで

損得をはっきり示しながら

「感じのいい」話し方や

立ち居振る舞いを教えました。

そして彼の不適切な行動は

一つずつ無くなっていき

最後に残ったのは

彼が最も楽しいと感じていた

人へのちょっかいでした。

人へのちょっかいは

状況も場面も方法も人も

多岐に渡っていたので

なかなか減りませんでした。

他の不適切行動を

全て合わせたより多かったので

なくなるにはまだ時間が必要でした。

でも不適切行動が減ったおかげで

彼はずいぶん落ち着きました。

2学年が終わろうとしていました。

5.感情の起伏

Bの課題で

卒業まで克服できなかったのは

感情の起伏が激しく

自分でコントロールできないことでした

彼がコントロールを失った時は

いつも周りをも巻き込みました。

ハイテンションの時は

奇声を上げてはしゃぎ

友達にちょっかいをかけまくり

怒りを感じた時は

当たり散らしたり

机や椅子を蹴って

教室を飛び出して行ったりしました。

怒りを感じて

適切な行動に出るのは

たいてい私以外の教師の授業でした。

職員室で仕事をしていたら

いつも呼ばれて

私はBを探して捕まえ

話を聞きました。

そうするとやっぱり

泣きじゃくって訴えて

しばらくすると

落ち着いて授業に戻っていきました。

彼が感情の起伏が激しくなるのは

人間関係が原因でした。

だから彼の話を聞くだけでなく

彼に自分が本当に望んでいることに

気付かせたり

相手の立場に立てたりできるように

カウンセリングを意識しました。

年ごとに

泣くような大きな感情の揺れは

少なくなっていきましたが

最後までその傾向は

変わることはありませんでした。

私はBが社会人として働き始めると

彼を理解しない人が多い中で

また大きく揺れながら過ごし

その結果周りが引いていき

孤独になっていくのかと思うと

心配でした。

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それで3年生の2月期末懇談で

一大決心をして

お母さんに

彼の心療内科通院と服薬を勧めました。

お母さんが了解してくれたら

彼とも話すということも伝えました。

お母さんは「考えてみます。」と

言われましたが

彼が通院することはなく

それ以降用があって電話しても

電話に出てもらえなくなりました。

彼が「薬を飲む自分がいやだ。」と

言って薬を飲まなくなったのと同じように

お母さんも

大人になった彼の障害と向き合うことが

辛かったのでしょう。

お母さんは

彼の職場実習の反省会や授業参観には

これまで通り

仕事を休んできてくれていたので

全く話ができなくなったわけではありません。

6.Bのこれから

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私は3月の卒業式以来

Bとは会っていません。

アルバムを手渡すため

Bや何人かの同級生の生徒たちと

会って話した

他クラスの担任の先生によると

彼だけが

職場の不満をたくさん言っていたようです。

長時間集中して

仕事をすることができる力は付き

人に迷惑を掛けたり

人が眉を潜めるような不適切な行動は無くなり

礼儀正しさも身に付きました。

でもストレスをマネージメントしたり

感情をコントロールしたり

人に自分を理解してもらう方法を

身に付けたりするには

もう少し時間が必要でした。

薬を飲むことも決して

その人の人間性を損なうことではないのだと

わかるようになるのにも

もう少し時間が必要でした。

私は

Bを理解して支援してくれるよう

職場の上司の人たちと

度も対話を重ねてきたつもりです。

まだできることがあったのでは

という後悔は尽きませんが

これから先職場の人たちが

彼を支えてくれて

彼も不満や不安にばかりとらわれることなく

自分を高める努力してくれたらと

願うばかりです。

彼が慕って尊敬していた友達と職場が近いので

彼らがこれから先も関係を続け

お互いで支え合ってくれたらと

願うばかりです。

私は

これを読んだあなたが

ADHD (注意欠如・多動症または

注意欠如多動性障害)という

障害をもった人たちを

Bのような多くの人たちを

理解して支えになってくれることを

希望して止みません。

そのために前回と今回の記事を

力を尽くして書きました。

ADHDについて私と話したい方は
メールをいただけたらと思います。
名前はニックネームでもかまいません。
または次のフォームからでもどうぞ!

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