こんにちは。キラです。
ADHDって知っていますか。
ADHD(注意欠如・多動症
または注意欠陥多動性障害)は
発達障害の一つです。
今日はこの障害について
お話しします。
1.ADHD(注意欠如・多動症または注意欠陥多動性障害)の生徒
3月まで
特別支援学校に勤務していたことは
プロフィールでもお話ししました。
私が担任するクラスは
軽度の知的障害をもつ
8人の生徒たちのクラスでした。
そのうち4人が
以前の記事で話した
自閉症スペクトラム障害を
合わせもち
一人がLD(学習障害)
2人がADHDを合わせもっていました。
ADHDの生徒の一人は
以前の記事で書いた
不登校だった生徒です。
その不登校だった生徒は
ADHDといっても軽度で
ADHDの傾向が見られるという程度で
医療機関からADHDと
診断されたわけではありません。
今回お話しするのは
もう一人のADHDの生徒です。
ここでは彼をBと呼びます。
ADHDは
不注意多動性・衝動性が
社会的学業的職業的活動に
悪影響を及ぼす場合に
一定の基準をもって診断されます
例えば「忘れ物が多い」
「課題が間にあわない」
「うっかりミスが多い」などの
「不注意」症状と
「じっとしていられない」
「落ち着かない」「待つのが苦手」などの
「多動性・衝動性」症状がみられます。
そしてこれらの症状が
同年代よりも強く認められ
症状の少なくとも一部は
小さいころから
連続して存在していたと考えられ
さらに学校や社会で
その症状のために
うまくいかず困っている状態が
確認された場合にADHDと診断されます。
ADHDについて
詳しいことを知りたい方は以下の
厚生労働省の説明を参考にしてください。
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-04-003.html
2.幼少期のB
Bは幼稚園の時から
じっとしていることができず
常に走り回り
周りの園児にちょっかいを
出し続けていたそうです。
女の子は彼の姿を見ただけで
泣いて逃げていたそうです。
何をしている時でも
いつも周りに注意を巡らせ
いろんなことが気になり
面白そうなことの方に
常に飛び移っていくという
感じだったそうです。
彼が常に動き回るのを
誰も止めることができなかったそうです。
Bは小学校に入学する前に
療育センターの診察で
ADHDと診断されました。
でも両親は
彼がちゃんと言葉を理解し
知的な発達も普通だということで
人より少し落ち着きがないくらいにしか思わず
年齢とともに治るだろうと考え
彼は普通に小学校に入学しました。
小学校に入学したBの
その傾向は収まるどころか
激化しました。
落ち着きなく動き回り
友達をつつきまわし
授業中に席につくことが
ほとんどなかったようです。
教師の注意にも全く耳を貸しませんでした。
いろんな傾向の子どもたちと
教室でいっしょにいる時間が長くなった分
その子たちの様子が刺激になったようです。
そしてBは
教師の注意を聞かないだけでなく
低学年ですでに暴言を吐いて
反抗するようになってきました。
問題行動をし続ける我が子に
疲れ果てた母親は
療育センターに相談しました。
そして
定期的に親子で通院して
投薬も受けるようになりました。
状態は少し改善されたようですが
収まることはありませんでした。
療育センターと学校との話し合いで
特別支援学級に
入級させることになったのが
3年生の時でした。
特別支援学級では
Bのやりたいようににさせたようです。
彼は思い通りにならないと
暴れたり
他の生徒に八つ当たりして
意地悪をするので
教師はそれを防ぐので
精一杯だったようです。
Bは特別支援学級の中では
理解力が高く
教師の教えることはすぐ理解したし
人のやっていることは気になるので
他生徒に勉強を教えるのは好きでした。
優越感ももてるし
自分の学習にもなるし
彼はそれが一石二鳥だと
分かっていたようでした。
彼はコツコツ続けるのは
嫌いでやらないので
多くは身には付きませんが
そうやって生活に必要な力は
自分の興味関心を生かして
付けていきました。
自分にとっての利益を判断して行動したり
相手の言うことを理解して
適切な会話をしたり
買い物やゲームなどの遊びや
インターネットなどに
必要な知識を得たりする力です。
3.中学校時代のB
中学校に入学しても
Bの状況は変わりませんでした。
彼は好きなことだけやって過ごし
イライラしたらクールダウンということで
彼だけいつでも
グランドをうろちょろすることが
許されていました。
だからここでも
必要な知識を得たり
基礎的な学力を付けたりすることは
できませんでした。
そのうち
何でも誰でも
自分の思い通りになるのが
当たり前になり
性格的に強かったのもあり
特別支援学級のクラスの友人たちを
子分のように使うようになりました。
中学校では身近に
不良の生徒という見本があったので
Bはますますやりたい放題で
傲慢になっていきました。
特別支援学級の友人たちは
彼を迷惑に思いながらも
どうしようもできず
言いなりになっていたようです。
中学校の時同級生だった生徒が
特別支援学校に何人か
Bといっしょに進学して来ていましたが
彼がどんなに迷惑な存在だったか
よく話してくれました。
彼は普通学級の生徒たちには
劣等感を感じていたので
適度に距離を置いて付き合い
特に不良たちとは
話を合わせて
うまく付き合っていて
仲が良さそうに見えたそうです。
もちろん中学校でも教師の指導は入らず
教師はどちらかと言えば
見て見ぬふりという感じで
彼の方から気まぐれに
甘えることもあったようですが
そんなに親密ではなかったようです。
多くが彼を腫れものに触るように
扱っていました。
彼はますます疎外感と不信感を
募らせていきました。
唯一Bに厳しく接し
彼が従ったのが
女性の校長先生でした。
彼は彼女を煙たがっていましたが
彼女は彼を可愛がっていたようです。
卒業式や入学式の来賓として
その校長先生が来た時の
彼女のBへの対応や
彼の話や態度からわかりました。
ただ校長という立場なので
いっしょに過ごすことは
ほとんどなかったようです。
またADHDの生徒は本能的に
強い権威や力には従う傾向があります。
ADHDの生徒は物事を損得で判断する
傾向があるからです。
校長が目を掛けてくれているということが
他の生徒との関係にプラスに働くことを
彼は本能的に感じ取れるのです。
だからBは不良の先輩や
彼が権威があると認めた人には
弱いです。
だからそんな人たちへの
彼の態度を見た
迷惑を掛けられている周囲の人は
自分が軽んじられていると感じ
ますます彼を嫌うようになります。
彼が本当に良い関係をもちたいと求める人たちが
彼から遠ざかって行くのです。
彼らはそれがADHDの特性で
彼が意識してそうしているのではないと
知らないからです。
Bのお母さんは
サバサバした人で
彼をビシバシ叱り
彼もお母さんにはほとんど
逆らいませんでした。
お父さんは
彼が中1の時に亡くなっていました。
彼の他
姉1人妹2人の4人きようだいで
お母さんは一家を養うために
一人で働いていたので
あまり丁寧に彼にかかわることが
できませんでした。
お父さんが亡くなってから
彼は自分が家族唯一の男となったので
自分が家族を支えて行こうと
密かに思ったようでした。
たから家では
お母さんに心配掛けるようなことはしないし
むしろお母さんを助けようとしていました。
そんな彼が
私の学校に入学してきたのが3年前です。
初日の入学式の日に
足を投げ出して座り
立ったり礼をする場面では
ふてぶてしい所作でしてた。
座っている時も立った時も
落ち着きなく動く彼を見て
面倒な3年間の始まりを予感しました。
Bは本当に面倒な人でした。
このBの話の続きは
長くなるので
次回の記事で話します。
4.中学校教師の時に出会ったADHDの生徒たち
特別支援学校に
勤めるようこそなって分かったのですが
不良とかワルとかの生徒の大半は
ADHDなのではないかと思います。
ADHDの人は
自分勝手だったり
わがままだったり
後先を考えず行動したりするように
見える傾向があるため
周囲から
疎んじられることが多いです。
それで
そんな反応をする周囲に対して
怒りを感じたり疎外感を感じ
「どうせ自分は嫌われている。」とか
「誰も自分に味方してくれない。」とかの
ネガティブな感情をもつようになって
大人に反抗したり
反社会的な行動をしたりします。
情緒的だけだなく
周囲の理解がなく
適切な指導がなされなかったために
学習する機会を失い
学力的にも発達が遅れ
「勉強しても自分には分からない。」とか
「自分はバカだから。」とか
自己肯定感をもてなくなります。
そういうふうに
周囲に理解してもらえなかったり
受け入れてもらえないと感じたり
劣等感を感じたりして
辛いので
そんな自分を守るために
荒れていったのではないかと思います。
そうやって
ADHDの人の多くは
周囲から理解を得られない環境の中で
人とのかかわりを
強く求めながら得られず
自己不全感や疎外感を感じながら
たくさん傷ついて生きています。
そんな生徒たちを
たくさん見てきました。
そんな生徒たちが大人になって
ある程度症状が
目立たなくなる場合も多いですが
根本的な傾向が変わるわけではないので
さらに孤独感を募らせ
不安やうつの症状が
見られるようになったり
好ましくない行動や
何かへの依存が多くなるという例も
たくさん見てきました。
以前の記事で書いた私の初任校の卒業生で
在学時不良だった生徒たちは
立派に社会人として仕事を続けている生徒よりも
5.中学生への私の指導
そんな
不良とかワルとかの生徒たちに
私が適切な指導を
してきたのかと言われれば
まったくできていませんでした。
当時はそれに気付いていませんでした。
私は不良とかワルとかの生徒と
なぜか気が合い
彼等のことは好きだったのです。
私は彼等をよく叱っていました。
喧嘩もしましたが
「いけないことはいけない。」と考え
言うべきことはしっかり
いい続けました。
彼等も私の言うことは
何となく聞きました。
だから自分が指導力があると
思っていました。
私は
ADHDという発達障害が
あることをを知るまでは
ADHDの症状をもった人たちを
生徒も含め
「甘えている。」と考え
自分のできないことを受け入れて
努力すればいいだけだと
思っていました。
だから生徒には
それを要求していました。
「悪いものは悪いのだから
やってはいけない。」
「今頑張らないと
社会に出てから自分が困る。」と
言い続けました。
「どこからでもやり直せるから
頑張れ。」と
励まし続けました。
ずっとそういう指導をしてきました。
彼らのことを
全く理解してないばかりか
彼らの生きづらさに
気付いてなかったのです。
生徒たちはよく私を見捨てず
ついてきてくれたと思います。
6.幸せに生きるために
ADHD傾向のある人の中には
普段は不注意が目立つけれど
自分が好きなことや
大事だと思う時に
ものすごい集中力を発揮したり
多動性が
「高い活動性・積極性」として
評価されたり
衝動性が
「優れた決断力・発想力」として
認められたりすることもあり
その傾向がうまく生かされて
社会の中で活躍している人が
いたりします。
それらの人たちは
ADHDという発達障害をリソースに変えて
幸せに生きているということです。
偶然そのように活躍できる場合も
あるかも知れませんが
やはり誰かの理解があって
自己肯定感を育てることができたからこそ
ADHDの特性を生かして
幸せに生きることが
できているのだと思います。
かつての私に
今の理解があったら
これまでかかわった
ADHDかも知れなかった生徒たちが
もっと楽に生きたり
もっと幸せに生きたりする力を
少しでも付けることが
できたかも知れないと思うと
悔やまれてなりません。
だからこれから先
そんな生きにくさを抱えた人たちの
一人一人を理解して
力になりたいと思います。
この記事で話した生徒たちほど
ADHDの傾向があるわけではない人でも
同じような悩みや辛さを抱えている人も
たくさんいると思います。
また
ADHDの人のことを理解する人を
少しずつでも増やしていきたいです。
あなたの周りにはADHDの人は
これまでいましたか。
または今いますか。
どんな人でしたか。
あなたは彼らをどんなふうに見て
どんなふうに彼らと
かかわってきましたか。
次の記事では
私がADHDのことを学んだ後で
Bとのかかわりがどのように変わり
Bがどのように変わったかについて話します。


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