私の師匠は2人います。
極めたくて教えを請いましたが
真似をして実践してみたけど
敵わなかった人たちです。
弟子は師匠を越えていくもの
みたいに言われていますが
私にとっては
超えられないから師匠です。
越えたら過去形で師匠になり
実際は同立です。
私の師匠は
一人は陶芸の師匠で
もう一人は教師の師匠です。
今日は教師の方を
お話しします。
1.永ちゃん先生
以前の記事で荒れた学校が
初任校だった話をしました。
私の師匠は
私が2年間副担をしたクラスの
担任の先生です。
その先生は矢沢永吉のファンなので
仮に永ちゃん先生と呼びます。
荒れたというのは正式には
教育困難校に指定された学校ということです。
そうすると教育委員会主導で
色々と手立てが講じられるそうですが
私が覚えているのは
1クラスの人数が他校より少ないことと
教員加配があることです。
一クラスに担任と副担任が
一人ずついるクラスが
たくさんありました。
教育困難な生徒がたくさんいるクラスが
その担副1人ずつのクラスでした。
永ちゃん先生と私のクラスにも
男女取り揃えてワルがたくさんいましたが
男女1人ずつワルのトップがいました。
永ちゃん先生は
サッカー部の顧問で
国語の先生でした。
永ちゃん先生は考え方の違う先生たちと
よく喧嘩をしていました。
特に組合の先生たちに怒っていました。
古くからその学校にいる先生たちに
組合の先生が多かったので
その先生たちが
たくさんの教員を抱え込んで
みんなで勉強会をして
同じような学級経営をしていました。
その学級経営のやり方に怒っていました。
「生徒をダメにする。」と
言っていました。
どのような学級経営かは
以前の記事で触れました。
古くからのやり方に反発したのが
私たちの学年で
その先鋒が永ちゃん先生です。
学年内にも2〜3人古くからいる
組合の先生がいました。
その先生たちはいい人たちで
私たちの学年の方針に出来るだけ
合わせてくれていました。
2.喧嘩上等
でも学年会などで
やはり意見が食い違いったり
懇親会でお酒が入ると
お互い本音が出たりしました。
そうすると永ちゃん先生は
「おのれらがつまらんこと
ゴチャゴチャ言わんでええんじゃ!」と
暴言を吐いてその先生たちに
つかみかかっていきます。
ビール瓶をつかんで
かかって行ったこともありました。
なぜか私はその喧嘩風景が好きで
ワクワクして見ていました。
喧嘩になると
必ず私の尊敬する
体育の女の先生が止めに入るのも
好きでした。
大人の世界に
こんな面白いことが
しばしばあることが
信じられませんでした。
中でも一番の場面は
野外活動中の夜
生徒が寝静まったころにありました。
何で喧嘩になったのかは忘れましたが
永ちゃん先生は
例の如くヒートアップして
大声で暴言を吐いて
一人の組合の先生に
つかみかかって行きました。
暴言の声は山々に響き渡っていました。
相手の先生も譲れないことだったらしく
つかまれながらも反論していました。
「こうやって暴力に訴えるのも
おかしいのがわからないのか!」と言ってました。
若い男の体育の先生が止めに入りましたが
止まらず三つ巴でした。
騒ぎを聞きつけてきた
例の体育の女の先生が止めて
速攻で終わりました。
そのあと3人で
その女の先生に怒られていました。
この女の先生は凄すぎて
私には到達できないレベルなので
師匠とも呼べません。
神レベルです。
この女の先生の頭脳と指導力で
私の学年の教員集団がまとめられていました。
しかも師匠の永ちゃん先生や私とは
タイプが違います。
翌日
私の喧嘩友達で
生徒たちからきょうだいのようだと
言われていたリーダーの男子が
「昨日オヤジ、ぶちおこっとったじゃろ。」
と言ってきました。
彼も楽しそうでした。
彼はサッカー部だったので
永ちゃん先生としばしば
泊まりがけで遠征に行っていました。
遠征から帰って
彼がいつも面白そうに話してくれるのは
酔っぱらった永ちゃん先生に叱られた話です。
夜みんなで騒いでいるとやってきて
正座せせられて
手をかけさせるなとか
子どもは早くねろとか
明日の試合でバテたら許さんとか
説教を回らない舌で長々とするそうです。
そして最後に毎回
「おのれら、言うこと聞けんやつは
今から一人で〇〇(都市名)に帰れ!」
と言うそうです。
その口調を
酔っぱらった様子まで加えて
真似するのです。
みんな大笑いです。
後からは笑い話ですが
永ちゃん先生は本当に怒らせると怖いので
もちろんみんな説教は神妙に聞いたはずです。
3.師匠を目指したけれど
そんな永ちゃん先生ですが
部活指導も
学級経営も
一人一人の生徒と真剣に向き合い
生徒同士のつながりを大切にしていました。
いい加減なようで
やることはきっちりやるし
よく喧嘩しますが案外繊細で
人の気持ちもよく理解していました。
破天荒ですが
人として守るべきことは
きちんとわきまえていました。
生徒たちは
教師というより
悪ガキでボスのような
永ちゃん先生が大好きでした。
クラスが家族のようでした。
部活も同じです。
熱い指導でした。
誰がエースというのではなく
チーム一丸となって
相手チームに挑んでいました。
それぞれの選手が
自分のチームメンバーの動きや考えをわかって
チームメンバーが動きやすいように
プレイしている感じでした。
サッカー部もやはりファミリーでした。
私は
永ちゃん先生のような
教師になりたいと思い
また同じような
クラスや部活のチームにしたいと思い
彼を師匠と仰いで
色々と真似したり取り入れたりました。
2年間副担をしてしっかり吸収して
その後自分が担任をするようになったとき
ほぼ同じような感じのクラスに
することができるようになりました。
部活も同じでした。
でも最後まで敵いませんでした。
永ちゃん先生は
どんな生徒も受け入れる
懐の深さをもっていました。
私はと言えば時々
生徒との間に
生徒に気付かれないように
壁をつくっている感覚がありました。
またまれですが
がんばっても関係がうまくいかない
生徒がいる時があって
そんな生徒に対して
距離を置いてあまり関わらないように
してしていました。
もっと広い心をもちたいと思いながら
どうしても受け入れられない
自分をどうすることもできませんでした。
いつも
「こんな私がかかわると
あの子のためにならない。」と
自分を正当化していました。
そんな度量の狭い自分が嫌なのに
いつも同じ対応をし続けました。
そんな生徒がいた時は
心から満足するクラスにはなりませんでした。
そして合わない生徒との1年間が終わったとき
永ちゃん先生を思い出し
次は諦めず頑張ってみようと考えました。
でもこのことは結局
克服することはできませんでした。
ただ考えてみると
ここ最近はなぜか
そんな生徒が出現しなかったように
思います。
生徒との間に
わからないように壁をつくったり
受け入れられない生徒と
距離を置いたり
私は結局そうやって
自分が傷付くことから自分を守っていて
永ちゃん先生のように自然体で
生徒のことをただ思うということが
できなかったのです。
ただ今は
自分がなぜ
そうしなければならなかったのか
わかっています。
ある心理学の本を読む機会があって
その本に書いてあった方法で
自分の無意識まで探索しました。
そしてわかりました。
その時はそうしかできなかったし
そうする判断をした私の意識にも
無意識の肯定的な意図がありました。
4.より高みへ
永ちゃん先生の話は
まだまだ尽きないので
続きはまた次の機会にお話しします。
私は永ちゃん先生がいつも言っていた
「宝のクラスをつくる」ということばを
いつも心で繰り返しながら
そして2年間を共にした
彼のクラスや彼の部活指導を思い描いて
教師をしてきました。
おかげで楽しい教師生活でした。
生徒といっしょに
泣いたり笑ったり
たくさんの感動を分かち合いました。
それこそが私の宝です。
またいつも師匠を目指して
高みへと努力してきた自分を
誇らしく思えます。
永ちゃん先生とは
今でも時々会いますが
彼の奥さんと二人でいつも
暖かく迎えてくれます。
いつ行っても話は尽きません。
あなたに師匠と仰ぐ人はいますか。
いるといたら
その師匠はどんな人ですか。
いないという人も
一度記憶の扉を開けて探しにいくと
見つかるかもしれません。
そうすると
より高みへと目指していた自分に
出会えます。
そしてそれがまた高みを目指す
勇気をくれます。


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