こんにちは。キラです。
今日は私が
辛くて向き合うことが
できなかった
そして誰にも
胸の内を
明かすことがなかった
出来事について
話します。
1.突然の出来事
2.心肺蘇生
3.霊安室で
4.留守電の声
5.喪失感を抱えて
1.突然の出来事
3年前の今頃
とてもつらくて悲しいことが
ありました。
母の死です。
死因は心筋梗塞でした。
掛かりつけのお医者さんに
健康管理をしてもらっていましたが
心臓が悪いと言われたことは
ありませんでした。
誰もが母の死を
予想だにしていませんでした。
キラの死から1か月後のことでした。
キラの死を
人生で一番辛いことだと
思っていたけど
もっと辛いことが待っていたんです。
母は亡くなった日の夕方に
友達と次の日の約束の電話をして
私に留守電を入れて
いつものように夕食を食べて
夜8時頃入浴しました。
そのあとベッドに入って
いつもと変わらない1日が
終わるはずでした。
なかなかお風呂から出てこない
母を心配して
見に行った弟が
母が倒れているのを
見つけました。
2.心肺蘇生
弟が救急車を呼んで
私や妹を呼んで
私が駆けつけたら
母は救急車の中で
心肺蘇生をされていました。
目を閉じて無抵抗に
横たわる母を見て
月並みですが
なんだか悪い夢をみているようで
現実感がありませんでした。
言われるままに
車で救急車を追いかけて
病院に行きました。
そこでも心肺蘇生が
くりかえされたようです。
広い病院の
暗くなった待合室で
誰も言葉を発することなく
座っていました。
時間の感覚もありませんでした。
処置室に呼ばれて入ったら
たくさんの若い医者と
指導教官みたいな医者に囲まれて
力なく横たわった母の上に
やっぱり若い研修医のような
女の人が乗って
心肺蘇生をしていました。
まるで何かの儀式のようでした。
早く母から降りて欲しいと
そのことばかり思って
叫び出しそうでした。
3.霊安室で
すぐに誰かが
「お亡くなりになりました。」
と言ったら
その部屋にいた人たちが
あっという間にいなくなりました。
一人残った
指導教官みたいな人が
私たち家族に
「地下の霊安室にお連れしますので
そちらでお待ちください。」
と言いました。
霊安室で待っていると
母が連れてこられ
妹が母にすがって泣きました。
弟たちは立ったまま
泣いていました。
私はやっぱり
悪い夢の中にいるようで
母の手を取って
早く目を開けて欲しい
死んだかと思った人が
息を吹き返すことがあるんだから
母だって今に目を開けると
根拠のない確信にとらわれていました。
そして目を開けることを
奇跡が起こることを
必死で念じていました。
母は
目を開けることは
ありませんでした。
3.お通夜とお葬式
家に帰って
布団に寝かせたのが
明け方の3時でした。
横たわる母を見ていて
もう私には母はいないんだ
ここへ帰ってきても
迎えてくれる母はいないんだと
思った瞬間
溢れるように
悲しみや
後悔や
喪失感が
おそってきました。
私を理解して
無条件で愛してくれる人は
もういなくなってしまったんだと
気付きました。
母が作っていた
南瓜の煮付けを食べました。
母の最後の料理だと思うと
食べながら
涙が止まりませんでした。
それからのお通夜や
お葬式の記憶は曖昧です。
ずっと悲嘆に暮れて
ずっと泣き通しでした。
火葬が終わって
親戚や近所の人たちが帰って
妹たちと何か話して
もやがかかったような感覚で
自分のマンションに帰りました。
昨日は気付がなかったけど
留守電のランプがチカチカと
録音があることを
知らせていました。
何気なく聞きたくなって
ボタンを押すと
母の声でした。
「近ごろ来んけど
元気にしよる?
体に気をつけんさいよ。」
と言っていました。
何度も聞きました。
涙があふれて
しかたありませんでした。
キラの病気を看るつらさから
キラの死のつらさから
母も遠ざけていました。
母の掛かりつけのお医者さんのところへ
一緒に行ったり
買い物に行ったり
頻繁に実家に寄って
母と話をしたりしていましたが
キラが病気になってから
会いに行くこともありませんでした。
4か月近くもです。
母は妹に
お姉ちゃんは猫が病気で
大変だからそっとしといてやろう
みたいなことを言ってたそうです。
母の亡くなる3年前から
夏に母と二人で
旅行に行くことに
決めました。
近場から始めて
2度行きました。
その2度の旅行中
母はとてもうれしそうでした。
私もとても楽しかったです。
そして3年目のその年は
少し遠くの京都に行くことに
していました。
母が兄妹の中で一番仲良くしていた
叔母が大阪にいるので
そこにも寄ることにしていました。
母も楽しみにしていました。
その計画もかなうことが
ありませんでした。
5.喪失感を抱えて
それから私は深い深い
喪失感を抱えた
辛い日々を過ごしました。
仕事中は必死で
考えないようにして
淡々と仕事をしました。
家に帰ってから
毎日 毎日
泣き暮らしました。
あまりに辛いので
考えなくて済むように
何時間も
ナンバープレースを
することもありました。
3年たった今も喪失感は
癒えることはありませんが
一人考えては泣くことが
なくなったわけではありませんが
少しずつ
母との思い出話が
笑ってできるようになりました。
母は明るくて
お茶目でした。
天然でした。
言いたいことは
はっきりという人でした。
そんな母の性格が
自分の中にあると
感じたとき
温かい気もちになります。
母はもういないけれど
母から受け取ったものを
他の誰かに
与えることで
今でも母と
つながることが
できるような気がします。
誰もが
身近な人の死に
向き合わなくてはいけないことが
あると思います。
乗り越えることは難しくても
喪失感を癒すことは難しくても
誰かに伝えることで
悲しみや辛さのほかの何かに
気付けたり
誰かが共感してくれることで
少し強くなれたりします。
私は今
ようやくこうして皆さんに
お伝えすることができました。


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